正義についての思考
冷房の効いた部屋からトイレに入る、トイレは換気のために窓が開け放されていた。
いまは暑い夏なのでトイレの中ももちろん暑さをはらんでいた。
そこは汚いトイレではない。むしろ場所柄に比べれば綺麗な方だ。
頭の方に突っ張り棒がつっぱってあって、その上に生理用ナプキンが乱雑に置かれてる。
リアルだ、と思う。
このぬるい小さな部屋のくさくない汚くない部屋の全てが私のリアルだ。等身大の私だ。
わたしの好きは誰にも救えない、わたし自身も救えない。
必死にしがみつこうとしてバイト増やしたし、好き過ぎて夜眠れなくなったし、昼間涙が止まらなくなった。
お医者さんとのお約束破っておくすりたくさん飲んだりしてる。
でも、でもそうじゃなきゃ、そこまでしてからではないと、自分のプライドを捨てた先のわたしの好きが見えなさそうなんだよ。
好きでいることは幸せであるはずなのに私たちにとってはつらくって、叶う叶わないの2択じゃなくて!!
好きの着地点は各々違う。わたしの好きの着地点は見えてない。低空飛行だから見渡さない。
でもいまのわたしの好きは、真夏に窓を開け放されたままの生ぬるいトイレだった。ゴールじゃないところで、それがリアルだった。
冷房が効いた部屋からそのトイレに入ると、現実感のある温度に包まれて少し安心する。
誰からも干渉されないリアルがそこにあって、わたしはそこに縋りたかった。
ほんとはさ、「すき!しあわせ!ハイ終わり!」でよかったんだよねえ、自分がどこに向かいたいのか分からない。どうしたらそうやって好きを正義にできるのか考えても答えなんて出ないの。
でも「わたしの好きは正義だよ!」って言いたいんだよ。胸をはって言うのが難しかったらせめて、いつもの友達にいつもの言葉で伝えたい。好きを理解してもらえるだけの正義がほしい。
好きは残酷だしわたしのまわりだと99%「好きはしんどい」だけど、みんなの正義を私は知りたい。
だって、好きって正義であるべきだよ。
だって、好きがないと地球が回らないからね。わたしの小さい世界も私の好きで回ってる。
好きこそ正義の精神世界ができたら、それこそ幸せなんだよ、きっと。知らんけど。