バイバイ アディオス

感情の整理、そして掃き溜め

思考回路の断絶のはなし

こんにちは。

 

おととい、某愛と夢と幸せグループの大規模なメディアミックス企画のカフェに、友達に連れられて行ってきました。

そこで行われていた上映会でシリーズ2作目の映画を見たのですが、見た感想を書いておきたいと思ったので記しておきます。

といってもなんというか映画の感想ではなく、メディアミックス企画全体の印象の感想の話です。(個人の感想なので悪しからず…!)

 

この作品を好きな人がいて嫌いな人がいる、よくわかりました。

この作品はあまりにも文脈がない。行間がない。見たもの聞いたもの五感で感じたもの以外に何も存在しません。話にはなんのひねりもなくて、上映時間の8割方アクションシーン。暴力を暴力で解決する、血で血を洗う世界観。

映画やドラマやまあ小説や漫画やそのようなもの全般は、受け取り側の感情に作用し、受け取り側が内容を咀嚼そして解釈するのが普通だと思ってました。が、これは違います。受け取り側の感情を介さずに直接脳に伝えます。

わたしが考えるに、これがまずひとつの分岐点。感情を介さないものが好きな人もいれば、悩むのが好きな人もいます。今まで悩んできた人が、この作品を受け入れようとしない理由はよくわかります。こういうものが今まで自分たちが崇めてきた作品と同じ立場(ジャンル)にあると認めたくないんです多分。

これを「面白い」と受け入れた瞬間に、今までの「面白い」の意味が全て変わってしまうような気がするので。

 

じゃあ次に、好きな人の気持ち。前述したように、感情を介さないものが好きな人、いますよね。

というか、感情を介さないものってものすごく明解で、誰にでもわかるんですよ。誰にでもわかるのはとても強みです。(逆に"誰にでもわかるものが嫌いな人"からは嫌われてしまうというのはまあ置いておいて…。)

この作品の感情を介さずに脳に直接伝えてくるものを例として挙げるなら、まず、顔のいい男の存在です。顔のいい男が喋ってたら、とりあえず我々は黙ります。脳に直接顔のいい男が殴り込みにきます。もうそれは四方八方から。

次は殴り合い、バイオレンスなシーンです。彼らはあまりにも裏がなさすぎて彼らの暴力をただの暴力として観覧するしかできない。なんかそれに悲劇とか喜劇とか意味を見出そうとか無意味。解決策が喧嘩しかないので喧嘩が彼らの世界の終着点。うんそれもいいんじゃないかな。顔がいい男が顔や拳から血をダラダラ垂れ流してる画、めちゃめちゃ脳髄に響いた。

あと感情を介さないなーと思ったのは、曲。いやあ、情緒がない。陰キャサブカルポタクには違いがわからない。いやメロディとか歌詞とか外面的な違いはわかるんだけど、内面が全て同じ。なのに違うものとして成り立ってるのがわからない。でもそれはこちらが感情を介して理解しようとしてるから。多分この場合、五感で感じたままに受け取るのが正解。行間を読もうとするから理解できない。

 

でも分かります。盛り上がりたいなら五感で感じられる音楽が正解だし。この作品群は行間を読むものじゃないので。

感情を介さないところが魅力なんです。誰にでも分かるローコンテクストなところが魅力なんです。うんうん、好きな人は好き。そりゃそう。

 

 

わたしは感情を大切にしたい。だから、この作品群のことを「面白い」って絶対に言いたくない。わたしが愛した作品たちはわたしの感情にしっとりと沁み込んできたものたち。比べられるものではない。

ですが、わたしはこの作品群のこと、好きなのかなって思います。

今までのわたしは考えすぎていたのかもしれない。脳直に魅力感じちゃうのも面白いかもしれない。

いいと思う。だってなんか楽しいし。思考の放棄。自ら放棄を選ぶ道もまたあるのかなと思います。

うん。

 

来週もカフェで映画見てきます。

週末はドラマ履修しようかな。

面白くないけど好きです。今のわたしに多分必要なので。