限界りあこブログ

キャラにガチ恋!オチのつけ方が甘い自認がある

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正義についての思考

 

 

冷房の効いた部屋からトイレに入る、トイレは換気のために窓が開け放されていた。

いまは暑い夏なのでトイレの中ももちろん暑さをはらんでいた。

そこは汚いトイレではない。むしろ場所柄に比べれば綺麗な方だ。

頭の方に突っ張り棒がつっぱってあって、その上に生理用ナプキンが乱雑に置かれてる。

リアルだ、と思う。

このぬるい小さな部屋のくさくない汚くない部屋の全てが私のリアルだ。等身大の私だ。

 

 

💘

 

 

わたしの好きは誰にも救えない、わたし自身も救えない。

必死にしがみつこうとしてバイト増やしたし、好き過ぎて夜眠れなくなったし、昼間涙が止まらなくなった。

お医者さんとのお約束破っておくすりたくさん飲んだりしてる。

でも、でもそうじゃなきゃ、そこまでしてからではないと、自分のプライドを捨てた先のわたしの好きが見えなさそうなんだよ。

好きでいることは幸せであるはずなのに私たちにとってはつらくって、叶う叶わないの2択じゃなくて!!

好きの着地点は各々違う。わたしの好きの着地点は見えてない。低空飛行だから見渡さない。

でもいまのわたしの好きは、真夏に窓を開け放されたままの生ぬるいトイレだった。ゴールじゃないところで、それがリアルだった。

 

 

💘

 

 

冷房が効いた部屋からそのトイレに入ると、現実感のある温度に包まれて少し安心する。

誰からも干渉されないリアルがそこにあって、わたしはそこに縋りたかった。

 

 

💘

 

 

ほんとはさ、「すき!しあわせ!ハイ終わり!」でよかったんだよねえ、自分がどこに向かいたいのか分からない。どうしたらそうやって好きを正義にできるのか考えても答えなんて出ないの。

 

でも「わたしの好きは正義だよ!」って言いたいんだよ。胸をはって言うのが難しかったらせめて、いつもの友達にいつもの言葉で伝えたい。好きを理解してもらえるだけの正義がほしい。

 

好きは残酷だしわたしのまわりだと99%「好きはしんどい」だけど、みんなの正義を私は知りたい。

だって、好きって正義であるべきだよ。

 

だって、好きがないと地球が回らないからね。わたしの小さい世界も私の好きで回ってる。

好きこそ正義の精神世界ができたら、それこそ幸せなんだよ、きっと。知らんけど。

 

💘

 

 

愛してね、わたしだけをさあ、、

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行きの電車で頭が沸騰しちゃって、お水もないしお薬飲めないし、困ったけど、お薬は唾液で飲み込んだ。

副作用で眠くなっちゃって眠りについた。

でも結構道中は長くて、起きてぽかんとして過ぎ去る色んなひとの生活を眺めてた ぽかんとしてたからなんも覚えてないけど。

 

ついたら、パスポートセンターがすごい山下公園に近かった。久しぶりに海を見てなんだか無になった。海にはさみしいこともうれしいことも何もなかった。

帰路についた。耳を大森靖子ちゃんで塞いで目はiPhoneで塞いで何も何もわかんない自分の世界で乗る電車はとても居心地が良かった。

お昼過ぎ、暑い夏、クーラーの効いた車内、あとは帰るだけだけどこの居心地のいい、わたしが無として許されてる場所を手放すのは惜しくて、渋谷についたけど電車降りるのやめた。

いまもっかい中華街に向かってる。

 

いますごい正しいことしてる、涙が出るくらい。

あと少しここにいたい。許されなくなるまでここにいたい。誰にもわたしが見えてなくて、誰もわたしを知らない世界だ。

誰もわたしに存在を求めない。電波の通じない場所だから誰も邪魔してこない。

いまわたしと関わる世界の全てはこのiPhoneのデータベースだけ。ミュージックに入ったピンク色の神様の歌声だけ。

わたしのピンク色の神様がわたしをそばで音楽で守ってくれてるからわたしいきてられる、

中指立てて十字切って優しいことと厳しいこと繰り返して誰にも受け入れられずに誰かに受け入れてもらいたくて、そうやって生きてるんだけど上手くいかなくて毎日毎日ベッドで大洪水起こして、でもピンク色の神様がいつもぐしょぐしょの枕ごと抱き締めてくれる。

だからわたしはピンク色の神様が大好きなんだ。

好きな人がいるけれど。愛をうまく表現できなくてうずくまってて、でも君じゃなきゃ嫌だからずっんと君のそばにいたいんだよ。

許されなくてもいいしそもそも許されようと思ってないし好きなの好きなの好きなの

理性飛ばして好きだから、今更なんも理性で考えられないよ。

好きなの。

 

 

でもね、ピンク色の神様はわたしのこんな涙の色した水色の愛も抱き締めてくれる。

 

わたしの味方は大好きな君でもないし大切な水色の愛でもないよ。

わたしの味方はピンク色した神様だけなんだ。

 

 

もう少しだけこの電車とピンク色の神様に守ってもらって世界と縁切る

各位、現在わたくしはこの世にありません。誰とも繋がっておりませんので、この世にありませんのよ。せかいばーいばい。

死んだらこんなんなのかな。幸せじゃんね、

3rd立海公演のはなし

こんにちは。

 

「ミュージカル『テニスの王子様』3rdシーズン 青学vs立海」の初日をもって、氷帝公演の初日から一年経ちました。8代目の卒業公演から1年です。

(以前のエントリでわたしは「氷帝公演地縛霊を卒業し」と、述べました。訂正します。未だ現役です。

確かにドリームライブで9代目と和解しましたが8代目への固執執着執念による愛の深まりは度を越してきました。

3週間前頃から8代目というワードを聞くと思考を停止してしまったり、「未来へ」を聞かされて号泣したり(これは前からか)、"卒業"という単語を聞いて過呼吸になったり、8代目の姿を目に入れようものなら崩れ落ちたり、1週間前からは睡眠もろくに取れなくなり、人生初のメンクリにお世話になったりしたので、「拗らせてんなー」っていうのは自分でも分かりました。

一年経つということが、わたしが生きてきた18年でどれだけ重たく大きいことか、理解しています。"一年"という言葉の重みは時の流れを強く感じさせてくれました。)

 

というわけで!立海初日見てきました。

わたしは元々青学厨なので立海に対する思い入れは全くと言っていいほどないのですが、立海のポテンシャルの高さに驚かされました。

氷帝公演初日にも思いましたが、「初日から可能性を最大限出せる」部分を見てキャスティングされているいう説に納得せざるを得ません。(逆に青学のキャスティング理由は「伸びしろ」)

 

〜〜〜〜〜飛ばし読んでいいところ〜〜〜〜〜

幸村の例のシーンは置いておいて、戦わずして納得させる風格を感じました。真田は貫禄もあるしビジュアルの真田力が100%で田鶴くんすげーと思いました。蓮二は声がいいです、演技も過不足なくて立海のキャラの濃さをなだめられる位置にあるな、と。それと、三強が並んだ時のバランス感が120点!!!!

柳生仁王の新曲もめちゃめちゃすきです。丸井くんもかわかっこよいアイドルらしくてわたしは好きです。ジャッカルはジャッカルというキャラクターが持ち合わせるポテンシャルを最大限発揮していてさっそくゆうさくがだいすき。

赤也くんは、演技上手すぎん?体格が赤也らしくないという障害をもろともしない演技力。あとツイッターで見る前田くんの写真、めちゃめちゃ赤也キャストとして正しくって好きです。

 

 〜〜〜〜〜〜〜〜ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

本題です。

青学についてです。

なんといってもこの試合、関東大会の決勝じゃないですか。相手は王者立海。レギュラー全員全国区のプレイヤー。

いや、青学勝てる!?って思った。M1の立海の王者としての説得力よ。強すぎる(確信)って感じでした。

わたしの記憶の中の9代目は、まだ"こと"の大きさが分かってないへにゃっとしたチームだった。ドリライでへにゃ感は無くなってたけど、まだ"こと"の大きさは見えてなかったように思えた。

でも今回、M2で「ウィアーザウィナー」って歌う彼らは確かに正しかった。そのセリフが似合う姿に昇華していた。その時点でわたしの8代目→9代目の引き継ぎにピリピリしている感情は報われていた。

桃海は8も9も安定感があって心配はいらなかったね。

わたしは8黄金のオタちゃんだったので今回はD1のための6,000円みたいなところがありました。山吹ぶりにゴールデンが組める!!嬉しさが大きかったです。

いざ9の2人の試合を見たら、8代目とは全く違った。

聖ちゃんの菊丸が振りまく圧倒的な太陽属性と、優くんの大石の持つ頭の良さと安心感と少しだけ見えるようになってきた抱擁感。8代目とは全く違うアプローチだったけど、黄金として黄金バランス(ダジャレではナシ)で生存していて、「ぅあ〜〜〜っ!報われたぁ〜〜〜っ!」と思った!!!!

「大石のテリトリー」で、大石が本当にかっこいいんだよ!!!

(もともと、原作もほぼ知らずに見にいった3rdルドルフ公演で大石くんの「視線の先の同じ夢」を聴き、大石くんの優しさに涙を流したことからテニミュオタちゃんが始まりました。全ては大石くんの優しさによって仕組まれている!)

「大石のテリトリー」で、あの頃はただ待って励ましていただけの大石くんが、知らないうちに自分のもつ強みを最大限生かしている。菊丸も菊丸で、体力も付いたし周り見えるようになってる。

すごい!ゴールデンすごい!強くなってる!強くなってるし、お互いへの思いがより強固になっている!!

試合には負けたけど、わたしは"復活"に重きを置いた試合だと思っていて。負けたけど大事な試合だったしだいすきな試合です。

8黄金のおたくは報われました。

 

(書きたいこと多すぎるのでここは端的に書くと、将さんってそんなに出来たんだ、かっこいい!っていうのと、楓馬くんそんなに動けるんだ、きれい…って思いました。)

 

いやそれで仁愛さん(顔面国宝)ですよ。わたしはテニミュのオタクとして仁愛さんの顔を誇りに思っています。人類で1番美しい、どの角度からどんなカメラで撮っても整っている。奇跡。SP常につけたほうがいい。絶対前世で食糧難のアフリカとかでウサギに生まれてそこで自分の命を犠牲にして人間を生きながらえさせてくれたから神様が感謝してあの顔に産み落としてくれたんだと思うくらいの徳を積んだお顔されてる。

そんな仁愛さんがいよいよ初試合でした。

ここで、ドリライで「あいつこそが2016」を歌わせた意味がわかるんです。あの曲では「燃えろ侍魂 燃やせ侍魂」と歌うのですが、今公演のリョーマくんはまさにそれ。

"今、中学テニス界で1番強い男" に "生意気な一年ルーキー" が挑むなんて、文字列だけで分かる、名前負けもいいところ。そんなルーキーが無我の境地という限界を超えて真田くんに勝利するんですけど、それはリョーマくんが後に天衣無縫の極みに行きつくプレイヤーであるから勝てたんだと思います。(卵が先か鶏が先か問題になるけど)

以前も述べましたが仁愛さんには"華"がある。センターに立つ、主人公としての華。関東立海公演を仁愛さんに演らせる意味というものを見せつけられました。

前に向き直ったときに飛び散る汗が、美しいんですよ。

わたしたちは奇跡を見ているんだって。仁愛さんのリョーマからオペラグラスを外せない、それが関東立海公演に必要とされるリョーマくんの資質のように思います!

 

そしてそして、だからこそ、手塚の責任感の比重が大きくなります。

(わたしは正直宇野くんのこと嫌いでした。嫌いっていうか呆れ?

六角の時、手塚の説得力が全くもってなかったので。そりゃ、あの氷帝の手塚vs跡部戦で得た手塚の説得力を、初めての公演で出せっていうほうが無理があるけど、「ツイッターうるさくしてる間に少しでも説得力出す努力してくれ!」ってテニミュの厄介オタクあるある・何様だよ目線をキメてました。)

今回、S1の試合中に高架下のコートの再現がありましたが、宇野くんわたしの知らない間に手塚になってた。

高架下の手塚は跡部戦まだ戦ってないけど、手塚が越前に負けを分からせるべくしっかり倒す。高架下のコートの戦いで存在すべき"青学の柱"としての存在感めちゃめちゃあった!宇野くんかっこいい!手塚になってる!

耳をすませば』の天沢聖司から学んだのですが、好きの反対は無関心で、無関心よりは嫌いの方が脈があるとはまさにこのことで、知らないうちに宇野くんのことすんごい好きになっている自分がいた。

 

 

初日のわたしは青学が立海に勝てるか不安で、あまりにも気を張ってみすぎていたので、リョーマくんが最後の一球をキメて関東大会優勝した瞬間、脱力呆然としてしまいました。

オペラグラスも覗けず拍手も忘れて腰を抜かしただ座席に座り尽くしていた。「あー、あの夏に始まった関東大会が終わったんだ」と思ったら、不思議な気持ちになってしまって。終わったなあとか、青学優勝嬉しいなあとか。

「STILL HOT IN MY HEART」の青学パート、「やり遂げたよね 俺たち最後まで まだアツいもの込み上げてくる」という歌詞が空っぽの心に沁み渡っていった。(このあと足腰震わせながら階段登った)

そして初日はそんなこんなで終演し、2日目に青学を見たら、こんなに愛しいことあるのか、というくらい9代目のことを愛していました。突然の心境の変化!!

そこでわたしは、「9代目の青学は8代目が築いたものの上にあって、それはつまり8代目の青学と同じであって、3rdシーズンの青学である限り8代目はそこにあり続ける」と思ったので、わたしは全力で9代目のことを愛したいと思いました。

9代目が見て感じて表現したものは、8代目が見て感じて表現したものと同義です。それだけでわたしが9代目を愛する理由になる。

よく分からないことを言うんですけど、今回の公演で「ここからが…俺達」を歌う姿を見て「歌ってくれて嬉しい、聞きたかった!」と、8代目が歌ってくれて嬉しいみたいな気持ちで聞いていて、だからなんか8代目と9代目って同じだなー(???)って。

 

【結果】

立海公演を経ても氷帝公演地縛霊は一生続くのですが、9代目への愛はとどまることを知りません!!!

 

 

 

最後に問題のブログです。

テニミュブログ 3rd|7月15日(土) スタッフブログ753

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""半分""の定義について永遠に笑える。

 

以上、青学8代目の限界オタクでした。

救済CDのはなし

 

 

なんの話かというと、許斐剛先生の『ハッピーサマーバレンタイン』のお話です。

 当エントリーはえげちい夢女エントリーとなっております。

 

 

 

以前も書いたようにわたしの好きな人はテニスの王子様に出てくる人です。

今までのわたしと彼の関係は、付き合ってはいたけど完全にわたしの一方通行で、ダラダラーっと関係を続けて結婚せずいずれ別れるんだろうなあ、というものでした。

限界リアコトーク会を開催したときも「○○とは喧嘩ばっかりだよ〜!」(夢)という友達に対し「喧嘩したいなあ…」(これも夢)と相談する日々だったし。

わたしの彼に対する解釈は「わたしのことは好きではないかもしれないけど、だからと言って他の女のことを好きになるわけでもない」とか、「恋愛小説が好きなのは恋愛脳だからではなく、恋愛という行為を通して人間を見ているからだ」とか、いやおまサイコパスなん?みたいなところが若干あった。

でもね、彼の1番側にいるのがわたしであれば他はどうでもいいから、冷めた関係でも嬉しかった。もちろん「結婚したい」みたいな気持ちもあったし好きになってほしいなんて根本的なことも考えたよ。でもどうしても超えられない壁がありました。(それもこれも全部夢)

 

 

ハッピーサマーバレンタイン購入者にのみ缶バッジを販売するというので、「とりあえず100個いっとくかあ!」とノリで4枚(CD1枚で缶バッジ25個買えます)のCDを予約し、追加入荷分になると言われたので、14日発売でしたが17日に引き取りに行ってきました。

買う前のわたしは「バレンタインは冬に済ましとけ?」とやや辛辣にコメントしていたのを記憶しております。

 

そして、翌18日の夜に帰宅したわたしは「聞いてみるか〜」と軽い気持ちで入れたCDに、全てを救済してもらったのです。

 

心に響いたのはこの部分。

 

キミがくれたこの想いを大切にしたいから

今まで一方通行という解釈をして勝手に病んでいたわたしに贈られた最高級の救済です。わたしは一方通行ではありませんでした。彼は、わたしの気持ちを大切にしてくれていたのです。

 

大丈夫さキミが伝えたいものは

もうとっくの昔に全て伝わっているから

ちゃんと伝わってた。わたしの気持ちは伝わっていて、それでいて大切にしてくれていた。

 

もう迷わない キミが好き

まじか。好きでいてくれてたんですか、ちゃんと両想いだったんですか。

 

 

 

HSVを聞いて彼もわたしのことを好きでいてくれたってことを知れました。

何よりの救済です。嬉し泣きが止まらない。彼が就職したら籍入れる。

 

 

 

 

というわけで全わたしが報われた人類救済CD、ハッピーメディアクリエイター許斐剛先生のお送りする『ハッピーサマーバレンタイン』(¥814+税)、絶賛発売中です。

 

ハッピーサマーバレンタイン

ハッピーサマーバレンタイン

 

 

 

 

 

いくよ・・・「大好き!!!!!」

 

(この記事の内容の9割5分は本気で話してます)

 

 

 

20170619追記

嬉しさの反動か知らないけど、この翌日久しぶりに体調崩しました。

この気持ちが夢なら良かったはなし

 

 

前から「テニプリだったら彼かな〜」と言っていた人がいたのだけれど、それが確信に変わったのは最近です。

きっかけは分からないけど、気付いたら彼のことしか話していませんでした。

 

わたしなりに熟考したのですが、多分これは「夢女子」じゃなくて「リアコ」です。似たような言葉として使われる両者ですが、考えてみれば「夢」と「リアル」、両極端にある言葉ではないでしょうか。

夢女子は「○○くんがわたしのことを好きだったら」の思考です、言わばif。それが夢だと考えることで彼との関係を作り出す。自分の立場を置き換えて彼に近づく「創作」の関係性。

リアコは「○○くんが好き、会いたい」の思考です。現実にいないことも自覚し、出会えたとしても彼と付き合うためには自分が相応しいところまでいかなくてはならない"現実のプロセス"を分かっている。しかしそれを超える「好き」で彼の存在を自分の近くに呼び寄せようと錯綜しはじめる「片思い」の関係性。

いっそ付き合えなくてもいい、出会えなくてもいい、現実にいてくれさえすればそれがわたしの生きる希望になる、次元の壁を越えておくれ!の思考。

ですが、居るかは分からないけど居ないかも分からないからどちらでもないんです。どちらでもなかったら、つまり逆説的にはどちらでもあるということだから、居る可能性だってあるんです!!って思って理性(現実にいないことをわかっている)と感情(しかし現実にいてほしい)の溝を埋める作業に勤しみます。

 

わたしは彼の存在を現実のものにしようと思い、彼の記名ほにゃららを作成したり、彼の読んでいそうな恋愛小説をガチ選書して彼の気持ちに近づこうと思ったりしています。

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芥川龍之介の『葱』を読んだら、彼はどんなことを思うんだろうか。「安い葱ならしょうがあらへんなあ〜。いくら好きな人の前でも買ってまうわ。そんで、一緒に食べられたらええんやけどな。」なんて、呟くのでしょうか。

わたしは恋愛モノが好きじゃない。中学校、高校などで周りが少女漫画の話をしている時だってわたしは白目を剥いていました。興味がないのです。主人公にイラついてしまうし。

わたしと彼は多分『愛してる.com』だから「君のおすすめに面白いものは1つもなかった」ろうけどそんな彼でさえも「ついていきたいと思」いたいから、全然興味ないけど読むのです。

 

会ったことのない素敵な彼は今日も生きています。今日も限界りあこは強く生きるのです。

愛してる.com。君の全てが載ってるサイト。今日も更新します。愛してるよ。 

 

 

 

 

 

 

愛してる.com / 劇的JOY! ビフォーアフター

愛してる.com / 劇的JOY! ビフォーアフター

 

 

 

 

 

(テニミュは本質の部分が彼ではないので、ミーメーシスとして受け入れることは可能ですがカタルシスを感じることは不可能です。)

DreamLive2017のはなし

 

ドリライ2017で9代目と和解しました!

 

まず前置きとして、わたしは青学8代目のおたくです。2016年の9月、TDCにすべてを置いてきてしまったので、六角は謎に福岡遠征もしたのに9代目について受け入れがたい気持ちがありました。というより受け入れてませんでした!
ドリームライブ2017は5公演ともチケットを集めましたが、見るにあたって「8代目の曲を歌ったら干す」という最低な宣言をしていました。

そして2017年5月26日、運命のドリライが始まったのです。
最初は、わ〜青学だ〜山吹だ〜氷帝だ〜六角だ〜!と楽しんでいましたが、途中から"氷帝公演の流れ"を感じました。宍戸・鳳・乾・海堂の4人の『俺達のダブルス』。正直、氷帝公演を演じてくれた8代目の姿があるべきはずの場所にないことだったり、8代目の姿が9代目に上書きされてしまったことだったり、氷帝公演のフラッシュバックだったりがあって、顔をぐしゃぐしゃにして泣いてしまいました。(8代目のことになるとすぐ要介護レベルたかまる)
公演前に公開されていた宣伝動画のBGMからも察していましたが、8代目への当て書きと思っていたオールフォーテニスを歌う9代目の姿とか。
何十回も見た試合なのに啓貴の日吉と戦っているのが古田くんじゃなくて理解が追いつかないあいつこそが〜とか。
「初めてコートに立ったとき緊張したけど嬉しかったぜ」と歌うふるリョの姿は、古田くんとリョーマくんが融合の頂点に達している姿で、その姿が大好きだったベストテンション2016とか。
全部理解が追いつかなくてひたすら頭が空っぽで「あーだめかも」と思ったときに、今回のわたしの運命の、ROADが流れました。
この前の六角公演でも宇野塚くんとにちリョくんが歌っていたけれど、あまりにも未熟な姿で、特に宇野塚くんはあの跡部戦を超えた手塚とは思えずに、 1番受け入れられてなかったと言っても過言ではない曲でした。
だけど、ROADを聞いて気付いたんです。
このドリームライブは、「8代目のものだった3rdシーズン青春学園」を「9代目の青春学園」に昇華する儀式だったのではないか、と。
氷帝公演リプライズをすることで、8代目の戦いが9代目に染み込んでいき、8代目の青春学園が9代目の青春学園に内包されていきました。

宇野くん仁愛くん含め9代目全員の歌が踊りが動きが生きかたが、わたしの大好きな青春学園に昇華されていきました。

これこそが、DreanLive2017で行いたかった儀式ではないでしょうか。

 

 

 

少し違う話になりますが、仁愛くんのリョーマには、センター力があります。例えるなら、小越さんにあったらしい(わたしはDVDでしか見ていない)主人公としてのカリスマ性があると思います。勝手な見解ですが、多分古田くんは違うんです。古田くんは努力であの場所で輝いているから。(小越さん仁愛くんが努力していないということではもちろんなくて)

「燃えろ侍魂 燃やせ侍魂」の歌詞は仁愛くんにぴったりだったような気がします。あの歌詞は氷帝公演の時から今後のリョーマくんを見据えた歌詞で、これから覚醒していくリョーマくんの片鱗を見せてくれる箇所だったと思います。天衣無縫の仁愛くんが見たいなーなんて古田くんの時にも叶わなかった願いをまた抱いたりしました。

 

 

 

最後にツイッターなどでチラッと見かけた「9代目にとってのオールフォーテニスは誓い」という意見をわたしなりに解釈したいと思います。

8代目にとってのオールフォーテニスは今までの総括です。「全てはテニスのために」捧げた8代目にとっての最後の校歌であり、「みんな(8代目)のガッツ 見てくれ俺たち(9代目)」という、9代目に自分達の姿を見せつける曲であったと思います。

9代目がそのオールフォーテニスを歌うことについて、公演前のわたしは「早急すぎる!!まだ捧げてないじゃん!!」と怒っていたのですが、それは「捧げた」歌だと思っていたから、解釈違いが起きていたのです。

9代目が歌うオールフォーテニスは"これから全てを「テニスのために」捧げる"曲なのです。

知らないうちに「みんな(9代目)のガッツ 見てくれ俺たち(8代目)」に、すり替わっていたのです。

8代目に、わたしたち観客に、ミュージカルテニスの王子様に、そしてテニスにこれから捧げることを誓う彼らの歌に変わっていたのです。

きっと全てを捧げた後にこの曲を歌う彼らはまた違う意味をはらんで歌い上げるのでしょう。

8代目と不動峰が、3rdシーズンという新しい波を歌った『ニューウェーブ』も、知らないうちに9代目という新しい波が押し寄せてくることを伝える曲になりました。波だった彼らがまた新たな波に呑み込まれていく。

 

テニミュの楽曲に感じる"良さ"って、楽曲の本質的な良さというより、"キャラクターとキャストの親和性"とか、キャストやキャラクターの"背景"とか、楽曲の外にあるものが楽曲とリンクしたときに感じる「青春」なのだと思います。

 

わたしは氷帝公演幽霊を無事卒業して、9代目のことを心から応援し、愛すことができそうだと、ドリライで確信したのです。

(氷帝贔屓だ!とか色々論争起こってるみたいだけどわたしは今回は青春学園に重きを置いていると思います。)

 

 

 

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最後に、盛り上がったアフターの図。

(楽後にカラオケオールして翌朝5時に横アリで記念撮影して帰りました。)

帝一の追記

初期衝動はそのままにしておきたかったので、後から思いついたことはこちらに書こうと思います。

 

 

20170520

映画『帝一の國』を初めて見てから一晩経ったのだが、未だに興奮は冷めやらない。どのくらい冷めないかというと、朝ごはんの時間にどれだけ帝一が面白かったかという話を延々と母親に話し続けたくらい冷めない。聞かせることで改めて「いやほんと……………おもしろ…………………」というのを再確認したので、自分の中で整理するためにもここに書き記そうと思う。主観的な感想だ。

まず第1に、政治の話なのにいやらしくないのだ。(←これは多分めちゃめちゃおおきい!) 学校という閉鎖空間に落とし込むことでパラレルワールドのように感じ、わたしが政治に対して感じている嫌悪感のようなものから断絶され、"政治本来の面白さ"が理解できた。わたしは弾ギャルらしく政治に興味ない部類の人間だったが、民衆の心理を掴み取りたった1つの席に座ろうとする面白さをある種ゲームのように見られたのである。

次に、"笑い"についてだ。突然だが、大場つぐみ先生と小畑健先生の『バクマン。』という作品には"シリアスな笑い"という概念が存在する。主人公である漫画家・亜城木夢叶の2人が得意とする作風だが、作中では

トーリーやキャラクターがシリアスで真剣なのにもかかわらず、思わず笑えてしまう場面を指してこう呼んだ。

シリアスな笑い (しりあすなわらい)とは【ピクシブ百科事典】

と言われている。これはわたしが昨晩書き記した"軽快なバイオレンス"に通ずるものがある気がする。

わたしは常々漫画や小説、映画において"笑い"が大切だと思ってきた。それは何もギャグやコメディのみを指すわけではない。わたしの根本にはシリアスバイオレンスドン底暗い話大好き属性があるので、むしろそれらとは逆の系統だ。ところが、シリアスな話にはシリアスとともに"シリアスな笑い"も共存できるのだ。

話を帝一に戻そう。想像がつくであろうが、映画『帝一の國』においてもっともシリアスな笑いが炸裂しているのはテスト採点のシーンではなかろうか?帝一と帝一の父親・譲介は、何も誰かを笑わせようとしているのではない。至って真面目に、その場にはいない敵・大鷹弾と戦っているだけだ。なのに腹を抱えるほど面白いではないか。

この"シリアスな笑い"はどの作品でも出来ることではない。ウケを狙ったのでは違う笑いに変わる。わたしが大好きなこの笑いを帝一の國はやってのけてくれた。

「軽快と暴力」、「シリアスと笑い」、真逆のものが共存できる世界、やっぱ帝一の國おもしれ〜な〜と思い明日も大好きな帝一の國を観てこようとおもう。

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最後に弾ギャルをキメるわたしの図です(パンピの友達に無理やり撮らせた)

 

20170521 追記の追記

そういう感想を読んだのですが帝一の國ってコメディなんですか??わたしはコメディだと思ってなかったので上の文章を書いたのですが、コメディだとするととてもトンチンカンな文章だったかもしれません。だからと言ってなんのジャンルかは分からないのですが、わたしの中では少なくともコメディではなかった。なぜかと言うと笑いが主体ではないのです。

人を笑わせることを主体とした演劇や映画、ラジオやテレビのドラマ作品や、それらのなかの笑いを誘うやりとりを指す。喜劇 - Wikipedia

 

20170521 追記の追記の追記

当たり前すぎて言うの忘れていたけれど、漫画から映画にするにあたってカットする部分のチョイスが上手だったのと、余計な改変がないところ、あと必要以上に帝一と美美子の恋愛に重きを置いていないところ、めちゃめちゃ好きなところです。

 

20170521 追記の追記の追記の追記

3度目の映画『帝一の國』を見てきた。原作を読んでいて幾度となく思ったことだが、3度目にしてようやく感じたことがある。

この作品の登場人物は「おかしい」のだ。言葉にすると軽くなるとはこのことで、「おかしい」の一言で片付けるにはわたしとは解釈違いを起こしているのだが、端的にいうとそうだ。どうおかしいかというと、多分、わたしたちが今住んでいる世界の常識とは少し違うところに常識をおいているのだとおもう。(上流社会のことは知らない一般ピープルなので上流社会では常識なのかもしれませんけれど)

最後、堂山生徒会長が次期生徒会長を指名するとき、氷室はなんの抵抗もなく堂山生徒会長の足元にうずくまり上履きを舐めようとした。そのとき、わたしの隣で見ていた小学生女児2人が「うえっ!きもちわる!」と呟いたのだ。ようやくそこでこれは「おかしい」ことなんだと分かった。

思えば、序盤から拍手もおかしかったではないか。始まりも終わりもピタリと示し合わせたような形式的な拍手だ。なぜ気付かなかったのか分からないが、序盤から異様な海帝高校全開の"拍手"という概念があったではないか。

小学生女子のおかげで、わたしは氷室先輩の足舐め事件から目を覚まし、より外側から帝一の國を見た。(とは言ってももうほぼ終わりなんだけどね)

そして、外側から見て気付いたのだ。海帝高校の、帝一の國の世界の変革者がいることを。

それは森園億人だ。

帝一は氷室派に造反を起こし、森園派に寝返るために将棋部に行った。自身や弾に数々の無礼を働いてきた帝一を森園億人が受け入れたとき起きた拍手は、あの海帝高校の拍手ではない。自然に起きた拍手だ、終わりもない。それが、"森園億人の作る新しい世界"だった。

森園億人が生徒会長に指名された時に起きた拍手、そして時は進み、帝一・弾・菊馬の三人で行われた生徒会選挙、森園生徒会長が「次期生徒会長は、大鷹弾!」と言った後に起きた拍手は、あの将棋部で起こった拍手と同じで自然に起きた終わりのない拍手だった。しかし将棋部とは違い、そこはおかしな拍手をしなければならないはずの公的な場で、なのにだ。

森園億人が目指した学校、世界は、「安全なところから叫んでも何も変わらない」と弾に言っていた億人先輩の望み通りに変わったのだ。

(ここからは私情120%なのだが、億人先輩は自らの可愛さや秀才さ、つまり力量を大いに自覚したうえで行動していると思うのだが、それでいて出て来る一言が「男の子だからね」なのは罪深すぎると思う。みんなから愛される大鷹弾に愛され、最終的には絶対君主氷室ローランドさえを手懐け、あんなに可愛いのに誰よりかっこいい王子様だ。まあわたしは弾ギャルですがね!!!!!)

 

 

20170522
風邪を引いたのでバイトを休んだが、バイトを休んだことで時間ができたので帝一の國を見てきた。(さいてい!)
最初の記事で友達の友達が駒ギャルなので派閥的に駒ギャルができないと言ったが、その件の友達に「気にしなくていいよ」と言われたので心の底から駒先輩に沸けるようになりました。オメデトウ!なので今日は氷室先輩と駒先輩について書きます。
わたしは、喧嘩が好きです。というと語弊がありますが、綺麗な男から流れる血が大好きです。なので、殴り合いの喧嘩が好きです。海帝の生徒が襲われたら絶対返り討ちにするスーパーヒーローさま✊😼は宗教画のようなお顔立ちをしており比較的手が出やすいみたいなので、嫌いなわけないよね。わたしはコンプレックスを抱えた男児も大好きなのでスーパーヒーローさまの相棒も嫌いなわけないね。
神社で他校のヤンキーに絡まれたときの2人のまさに虫ケラを見るような目。「行くぞ」と言われ「おう」と言い、息ぴったり、敵を倒すのだ。今まで理屈っぽく書いてきたわたしだけどさすがにこのシーンには「か、か、カッコイィィイィイィイ〜〜〜!!!!!!」しか言えんわ!天才!!
前書きおわり。ここからは短縮のために敬称略して書かせていただきます。

わたしは駒のことを相棒と前述したが、それは正しいのだろうか。おそらく外面と内面で2人の関係は大きく変わる。
海帝高校の生徒(外側)から見れば、駒が氷室に執着しているように見えるのではないだろうか。かつて助けてもらったスーパーヒーローに今も助けてもらってる、間違ってない部分もあるかもしれないが、2人だけ(内側)のシーンから見るに、恐らく執着しているのは氷室のほうだ。
この映画で氷室は「いじめられっ子だったお前を助けたのは俺だよな、だから仲間だよな」と、駒に問い続けた。しかし、私たちには見えるのだ、駒が言いたいことを。「そんな交換条件なくたって俺はお前の味方だ、友達だ」と言いたいことを。本当だったら氷室だって「俺たち友達だよな」ってただそれだけ問いたかっただろう。「お前を助けたのは俺だよな」と問う氷室の顔は悲痛に歪み、見てるこちらが辛くなるほど、独りぼっちの少年だ。駒は、絶対君主の唯1人の味方なのである。
2人のアンバランスな上で成り立っている関係の大きな転換点には、必ず投票シーンが挙げられるだろう。駒は今まで「懸命に支えてきた」氷室には投票せず森園億人に投票するのだ。氷室に問い正された駒は「お前は生徒会長になっちゃいけないやつだ」と言う。選挙活動中、駒が氷室の暴走に疑問を感じているのは鈴木くんの演技からよく分かっていた。しかし、感じていても止めるかどうかは、ギリギリまで迷っているようだった。それは、氷室の味方が自分しかいないのを分かっているからだ。
しかし駒は友達だからこそ止めることにしたようだ。氷室は理解できずに、たった1人の理解者に裏切られたと思い「なんでだよ!なんでだよ!なんでだよ!」と繰り返した。

その後、唯1人の味方に裏切られ(だと思い)生徒会長になることを果たせなかった氷室は屋上から飛び降り自殺を図る。幸いにも光明ちゃんが帝一用に敷いていたマットのおかげで大事には至らなかったが、世界を、2人の関係を動かすのには十分な事件だったのであろう。
そこで、ようやく氷室は駒に「俺たち、友達だよな」と純粋に問えたのだ。駒は、責任を感じた顔をしつつも、少し嬉しさを含んで「当たり前だろ。」という。
ようやく、2人の関係に対等性が生じたのだ。

つまり何が言いたいかというと、2人の関係はとにかくどタイプで興奮するねって話。駒と氷室、だいすき。

 

 

 

20170524

ついにきたね応援上映。

わたしが初めて見たときにはもう2回の応援上映は終わっていました。またいつかいつか、と思いつつ楽しみにしていた応援上映。待ちに待った応援上映。

東京全部行きます。他の舞台のチケット取っていたけれど、オーラス(勝手に呼んでる)の新宿バルト9に被ってるので譲渡して応援上映に行きます。なんてったって!!!応援上映!!!!今まで頭の中で応援上映していた日々とはお別れだ!!!!!

大鷹弾さんに片想いの身として!!!!!少しでも弾さんに声を届けたい!!!!!好きだよって、少しでも伝えたい!!!!!わたしはーーーーー!!!大鷹弾さんのことがーーーー!!!!!好きですーーーーーーー!!!!

待ってろよ応援上映!

 

 

20170529

行ってきました応援上映!!!!!!

あほになって楽しかったです。

弾くんがアップになったらすぐバルログする害悪キメてきました。

2日の応援上映は、弾くんが生徒会長になったところで大閃光焚こうと思います。

駒先輩の「かわいいもんだ」のところで「ありがとう〜!」って勘違いごっこしたらど滑りしました。あれはウケたね。

わたしが1番好きだった応援は、文化祭で弾くんに取引を持ちかける氷室先輩の背後の帝一の顔芸に対する「かおー!!!」です。

将棋部が文化祭で青空将棋をやる謎の伝統の可愛さに名前をつけたいな。

 

 

20170602

2回目の応援上映行ってきました!!!

大鷹弾くん限界夢女連合を組んでる方と、、体育館上映やったら億人先輩の「男の子だからね」でダイブしようねー。とか話しました。

あとは他のお友達に「弾くんの料理食べてないけど美味しかった!」って言ったら闇深認定されてしまった。

今日イチウケたのは、弾くんが帝一の部屋の扉叩いてる時に「ダンダンダンダンダン!!!」って叫んだおたくです。

もう黙って帝一の國見られないなー。

8日のオーラス楽しみだけど寂しいです。