バイバイ アディオス

感情の整理、そして掃き溜め

行間についてのはなし

お久しぶりです、前回某ハイとローの映画を見たと言い残し何をしてたかと言うと、famをやってました。(相変わらずちょろい)

俳優のオタクだった時代にいろいろ悩んで悩んで、怒ったり悲しんだりするのがアホなの分かってるのに止まらなくって。でも愛と夢と幸せ事務所は「考えなくていーじゃん!」っていう少しの平穏をわたしにくれました。なのでちょっと寄り道です。

 

前回のブログにも書いた通りにこの事務所全般において、行間というものが存在しません。

こんなに行間が生まれないことがあるのだろうか、と色んな歌詞を見ていたのですが明確な事実として見えてきたことは、「日本語の歌詞に気持ちが乗る前に英語が来る」ということです。ちょっとした隙間を全部英語で埋めるんですよ。日本語の語彙の問題なのか英語への憧れなのかただ単に何も考えていないのかわからないですが、とにかく展開が途切れ途切れなのでこちらの感情と意識を継続することが難しいです。一曲分の文章なんて考えなくても多少の行間が生まれるだろうところを、自ら絶っているのだな、と。

 

思えばこの事務所、何においても「間」や「空白」が出来ないように出来ないように、と、むしろ意図して埋めているような気がしました。

映画もそうです。隙間という隙間を何かで埋めようと。空白があれば音楽を、物を、人を、バックグラウンドを。

といった風に、息をつかせる暇などありません。こちらが考える時間などありません。

なるほど、わたしが初めて見たときに感じた「考えるな、感じろ」は行間を埋めた結果なのだな、と自己完結したりしました。

 

しかしわたしがその後少しずつ知識を得たところ、文化水準の高さも感じました。

憧れが努力へと繋がり、努力が結果へ、そしてその結果がまた次の憧れへ、というサイクルが完璧に完成しています。

憧れた少年の「ダンス、歌が好き!もっともっと上手くなって自分たちも憧れを与えたい!そして自分たちが憧れたものを越えていきたい!」という想いが芯に一本硬く太く通っているのでブレずに大きくなっていきます。

ブレないというのは何より強みで説得力がある行動だと思います。

尽きない向上心、ブレない意志が技術の向上をももたらし、無知なわたしにも「上手いなあ」と分かるくらいのパフォーマンスが出来るのではないでしょうか。

彼らの裏には「オーディションで合格しこの場に立っている」という確固たる自信があるので、自信の圧がすごいです。それも自身の努力から成るものなので説得力がありますし。

とにかく、ただ「パフォーマンスがすごい!」と言いたいのではなく、パフォーマンスを裏付ける意志が明確で強いところがすごいのです。

 

 

 

だからこそ、行間がないのが勿体ない。

 

曲だって良いメロも山ほどあるんですよ。確かな技術を持った人が作ってるので当たり前です。でも、引き算がないから、とにかくオケに音数が多い。わたしが今まで聞いてきた音楽は引き算され尽くされたみたいな曲ばかりだったので、それと比べると逆に薄っぺらく感じてしまうんですよね。感情で補完することでより大きな創作物になると思うんですよ。

つまり隙間ないものを完成させようとした結果に味がなくなってしまった。実力はあるのに。勿体なさすぎる。

感情を介さないことで刹那的なものになってしまっています。(まあそれがライブ感なのかな…とも思うけど、それをやめたら目の前にいない何かにも届けられるのに、と思う。空間的な目の前だけじゃなくて時間的な意味でも。)

 

 

 

だから逆に、感情で補完させる隙間を作れたら最強じゃないですか?

わたしは愛と夢と幸せ事務所に行間を希望します。

思考回路の断絶のはなし

こんにちは。

 

おととい、某愛と夢と幸せグループの大規模なメディアミックス企画のカフェに、友達に連れられて行ってきました。

そこで行われていた上映会でシリーズ2作目の映画を見たのですが、見た感想を書いておきたいと思ったので記しておきます。

といってもなんというか映画の感想ではなく、メディアミックス企画全体の印象の感想の話です。(個人の感想なので悪しからず…!)

 

この作品を好きな人がいて嫌いな人がいる、よくわかりました。

この作品はあまりにも文脈がない。行間がない。見たもの聞いたもの五感で感じたもの以外に何も存在しません。話にはなんのひねりもなくて、上映時間の8割方アクションシーン。暴力を暴力で解決する、血で血を洗う世界観。

映画やドラマやまあ小説や漫画やそのようなもの全般は、受け取り側の感情に作用し、受け取り側が内容を咀嚼そして解釈するのが普通だと思ってました。が、これは違います。受け取り側の感情を介さずに直接脳に伝えます。

わたしが考えるに、これがまずひとつの分岐点。感情を介さないものが好きな人もいれば、悩むのが好きな人もいます。今まで悩んできた人が、この作品を受け入れようとしない理由はよくわかります。こういうものが今まで自分たちが崇めてきた作品と同じ立場(ジャンル)にあると認めたくないんです多分。

これを「面白い」と受け入れた瞬間に、今までの「面白い」の意味が全て変わってしまうような気がするので。

 

じゃあ次に、好きな人の気持ち。前述したように、感情を介さないものが好きな人、いますよね。

というか、感情を介さないものってものすごく明解で、誰にでもわかるんですよ。誰にでもわかるのはとても強みです。(逆に"誰にでもわかるものが嫌いな人"からは嫌われてしまうというのはまあ置いておいて…。)

この作品の感情を介さずに脳に直接伝えてくるものを例として挙げるなら、まず、顔のいい男の存在です。顔のいい男が喋ってたら、とりあえず我々は黙ります。脳に直接顔のいい男が殴り込みにきます。もうそれは四方八方から。

次は殴り合い、バイオレンスなシーンです。彼らはあまりにも裏がなさすぎて彼らの暴力をただの暴力として観覧するしかできない。なんかそれに悲劇とか喜劇とか意味を見出そうとか無意味。解決策が喧嘩しかないので喧嘩が彼らの世界の終着点。うんそれもいいんじゃないかな。顔がいい男が顔や拳から血をダラダラ垂れ流してる画、めちゃめちゃ脳髄に響いた。

あと感情を介さないなーと思ったのは、曲。いやあ、情緒がない。陰キャサブカルポタクには違いがわからない。いやメロディとか歌詞とか外面的な違いはわかるんだけど、内面が全て同じ。なのに違うものとして成り立ってるのがわからない。でもそれはこちらが感情を介して理解しようとしてるから。多分この場合、五感で感じたままに受け取るのが正解。行間を読もうとするから理解できない。

 

でも分かります。盛り上がりたいなら五感で感じられる音楽が正解だし。この作品群は行間を読むものじゃないので。

感情を介さないところが魅力なんです。誰にでも分かるローコンテクストなところが魅力なんです。うんうん、好きな人は好き。そりゃそう。

 

 

わたしは感情を大切にしたい。だから、この作品群のことを「面白い」って絶対に言いたくない。わたしが愛した作品たちはわたしの感情にしっとりと沁み込んできたものたち。比べられるものではない。

ですが、わたしはこの作品群のこと、好きなのかなって思います。

今までのわたしは考えすぎていたのかもしれない。脳直に魅力感じちゃうのも面白いかもしれない。

いいと思う。だってなんか楽しいし。思考の放棄。自ら放棄を選ぶ道もまたあるのかなと思います。

うん。

 

来週もカフェで映画見てきます。

週末はドラマ履修しようかな。

面白くないけど好きです。今のわたしに多分必要なので。

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正義についての思考

 

 

冷房の効いた部屋からトイレに入る、トイレは換気のために窓が開け放されていた。

いまは暑い夏なのでトイレの中ももちろん暑さをはらんでいた。

そこは汚いトイレではない。むしろ場所柄に比べれば綺麗な方だ。

頭の方に突っ張り棒がつっぱってあって、その上に生理用ナプキンが乱雑に置かれてる。

リアルだ、と思う。

このぬるい小さな部屋のくさくない汚くない部屋の全てが私のリアルだ。等身大の私だ。

 

 

 

 

わたしの好きは誰にも救えない、わたし自身も救えない。

必死にしがみつこうとしてバイト増やしたし、好き過ぎて夜眠れなくなったし、昼間涙が止まらなくなった。

お医者さんとのお約束破っておくすりたくさん飲んだりしてる。

でも、でもそうじゃなきゃ、そこまでしてからではないと、自分のプライドを捨てた先のわたしの好きが見えなさそうなんだよ。

好きでいることは幸せであるはずなのに私たちにとってはつらくって、叶う叶わないの2択じゃなくて!!

好きの着地点は各々違う。わたしの好きの着地点は見えてない。低空飛行だから見渡さない。

でもいまのわたしの好きは、真夏に窓を開け放されたままの生ぬるいトイレだった。ゴールじゃないところで、それがリアルだった。

 

 

 

 

冷房が効いた部屋からそのトイレに入ると、現実感のある温度に包まれて少し安心する。

誰からも干渉されないリアルがそこにあって、わたしはそこに縋りたかった。

 

 

 

 

ほんとはさ、「すき!しあわせ!ハイ終わり!」でよかったんだよねえ、自分がどこに向かいたいのか分からない。どうしたらそうやって好きを正義にできるのか考えても答えなんて出ないの。

 

でも「わたしの好きは正義だよ!」って言いたいんだよ。胸をはって言うのが難しかったらせめて、いつもの友達にいつもの言葉で伝えたい。好きを理解してもらえるだけの正義がほしい。

 

好きは残酷だしわたしのまわりだと99%「好きはしんどい」だけど、みんなの正義を私は知りたい。

だって、好きって正義であるべきだよ。

 

だって、好きがないと地球が回らないからね。わたしの小さい世界も私の好きで回ってる。

 

 

 

好きこそ正義の精神世界ができたら、それこそ幸せなんだよ、きっと。知らんけど。

a

 

 

 

行きの電車で頭が沸騰しちゃって、お水もないしお薬飲めないし、困ったけど、お薬は唾液で飲み込んだ。

副作用で眠くなっちゃって眠りについた。

でも結構道中は長くて、起きてぽかんとして過ぎ去る色んなひとの生活を眺めてた ぽかんとしてたからなんも覚えてないけど。

 

ついたら、パスポートセンターがすごい山下公園に近かった。久しぶりに海を見てなんだか無になった。海にはさみしいこともうれしいことも何もなかった。

帰路についた。耳を大森靖子ちゃんで塞いで目はiPhoneで塞いで何も何もわかんない自分の世界で乗る電車はとても居心地が良かった。

お昼過ぎ、暑い夏、クーラーの効いた車内、あとは帰るだけだけどこの居心地のいい、わたしが無として許されてる場所を手放すのは惜しくて、渋谷についたけど電車降りるのやめた。

いまもっかい中華街に向かってる。

 

いますごい正しいことしてる、涙が出るくらい。

あと少しここにいたい。許されなくなるまでここにいたい。誰にもわたしが見えてなくて、誰もわたしを知らない世界だ。

誰もわたしに存在を求めない。電波の通じない場所だから誰も邪魔してこない。

いまわたしと関わる世界の全てはこのiPhoneのデータベースだけ。ミュージックに入ったピンク色の神様の歌声だけ。

わたしのピンク色の神様がわたしをそばで音楽で守ってくれてるからわたしいきてられる、

中指立てて十字切って優しいことと厳しいこと繰り返して誰にも受け入れられずに誰かに受け入れてもらいたくて、そうやって生きてるんだけど上手くいかなくて毎日毎日ベッドで大洪水起こして、でもピンク色の神様がいつもぐしょぐしょの枕ごと抱き締めてくれる。

だからわたしはピンク色の神様が大好きなんだ。

好きな人がいるけれど。愛をうまく表現できなくてうずくまってて、でも君じゃなきゃ嫌だからずっんと君のそばにいたいんだよ。

許されなくてもいいしそもそも許されようと思ってないし好きなの好きなの好きなの

理性飛ばして好きだから、今更なんも理性で考えられないよ。

好きなの。

 

 

でもね、ピンク色の神様はわたしのこんな涙の色した水色の愛も抱き締めてくれる。

 

わたしの味方は大好きな君でもないし大切な水色の愛でもないよ。

わたしの味方はピンク色した神様だけなんだ。

 

 

もう少しだけこの電車とピンク色の神様に守ってもらって世界と縁切る

各位、現在わたくしはこの世にありません。誰とも繋がっておりませんので、この世にありませんのよ。せかいばーいばい。

死んだらこんなんなのかな。幸せじゃんね、

3rd立海公演のはなし

こんにちは。

 

「ミュージカル『テニスの王子様』3rdシーズン 青学vs立海」の初日をもって、氷帝公演の初日から一年経ちました。8代目の卒業公演から1年です。

(以前のエントリでわたしは「氷帝公演地縛霊を卒業し」と、述べました。訂正します。未だ現役です。

確かにドリームライブで9代目と和解しましたが8代目への固執執着執念による愛の深まりは度を越してきました。

3週間前頃から8代目というワードを聞くと思考を停止してしまったり、「未来へ」を聞かされて号泣したり(これは前からか)、"卒業"という単語を聞いて過呼吸になったり、8代目の姿を目に入れようものなら崩れ落ちたり、1週間前からは睡眠もろくに取れなくなり、人生初のメンクリにお世話になったりしたので、「拗らせてんなー」っていうのは自分でも分かりました。

一年経つということが、わたしが生きてきた18年でどれだけ重たく大きいことか、理解しています。"一年"という言葉の重みは時の流れを強く感じさせてくれました。)

 

というわけで!立海初日見てきました。

わたしは元々青学厨なので立海に対する思い入れは全くと言っていいほどないのですが、立海のポテンシャルの高さに驚かされました。

氷帝公演初日にも思いましたが、「初日から可能性を最大限出せる」部分を見てキャスティングされているいう説に納得せざるを得ません。(逆に青学のキャスティング理由は「伸びしろ」)

 

〜〜〜〜〜飛ばし読んでいいところ〜〜〜〜〜

幸村の例のシーンは置いておいて、戦わずして納得させる風格を感じました。真田は貫禄もあるしビジュアルの真田力が100%で田鶴くんすげーと思いました。蓮二は声がいいです、演技も過不足なくて立海のキャラの濃さをなだめられる位置にあるな、と。それと、三強が並んだ時のバランス感が120点!!!!

柳生仁王の新曲もめちゃめちゃすきです。丸井くんもかわかっこよいアイドルらしくてわたしは好きです。ジャッカルはジャッカルというキャラクターが持ち合わせるポテンシャルを最大限発揮していてさっそくゆうさくがだいすき。

赤也くんは、演技上手すぎん?体格が赤也らしくないという障害をもろともしない演技力。あとツイッターで見る前田くんの写真、めちゃめちゃ赤也キャストとして正しくって好きです。

 

 〜〜〜〜〜〜〜〜ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

本題です。

青学についてです。

なんといってもこの試合、関東大会の決勝じゃないですか。相手は王者立海。レギュラー全員全国区のプレイヤー。

いや、青学勝てる!?って思った。M1の立海の王者としての説得力よ。強すぎる(確信)って感じでした。

わたしの記憶の中の9代目は、まだ"こと"の大きさが分かってないへにゃっとしたチームだった。ドリライでへにゃ感は無くなってたけど、まだ"こと"の大きさは見えてなかったように思えた。

でも今回、M2で「ウィアーザウィナー」って歌う彼らは確かに正しかった。そのセリフが似合う姿に昇華していた。その時点でわたしの8代目→9代目の引き継ぎにピリピリしている感情は報われていた。

桃海は8も9も安定感があって心配はいらなかったね。

わたしは8黄金のオタちゃんだったので今回はD1のための6,000円みたいなところがありました。山吹ぶりにゴールデンが組める!!嬉しさが大きかったです。

いざ9の2人の試合を見たら、8代目とは全く違った。

聖ちゃんの菊丸が振りまく圧倒的な太陽属性と、優くんの大石の持つ頭の良さと安心感と少しだけ見えるようになってきた抱擁感。8代目とは全く違うアプローチだったけど、黄金として黄金バランス(ダジャレではナシ)で生存していて、「ぅあ〜〜〜っ!報われたぁ〜〜〜っ!」と思った!!!!

「大石のテリトリー」で、大石が本当にかっこいいんだよ!!!

(もともと、原作もほぼ知らずに見にいった3rdルドルフ公演で大石くんの「視線の先の同じ夢」を聴き、大石くんの優しさに涙を流したことからテニミュオタちゃんが始まりました。全ては大石くんの優しさによって仕組まれている!)

「大石のテリトリー」で、あの頃はただ待って励ましていただけの大石くんが、知らないうちに自分のもつ強みを最大限生かしている。菊丸も菊丸で、体力も付いたし周り見えるようになってる。

すごい!ゴールデンすごい!強くなってる!強くなってるし、お互いへの思いがより強固になっている!!

試合には負けたけど、わたしは"復活"に重きを置いた試合だと思っていて。負けたけど大事な試合だったしだいすきな試合です。

8黄金のおたくは報われました。

 

(書きたいこと多すぎるのでここは端的に書くと、将さんってそんなに出来たんだ、かっこいい!っていうのと、楓馬くんそんなに動けるんだ、きれい…って思いました。)

 

いやそれで仁愛さん(顔面国宝)ですよ。わたしはテニミュのオタクとして仁愛さんの顔を誇りに思っています。人類で1番美しい、どの角度からどんなカメラで撮っても整っている。奇跡。SP常につけたほうがいい。絶対前世で食糧難のアフリカとかでウサギに生まれてそこで自分の命を犠牲にして人間を生きながらえさせてくれたから神様が感謝してあの顔に産み落としてくれたんだと思うくらいの徳を積んだお顔されてる。

そんな仁愛さんがいよいよ初試合でした。

ここで、ドリライで「あいつこそが2016」を歌わせた意味がわかるんです。あの曲では「燃えろ侍魂 燃やせ侍魂」と歌うのですが、今公演のリョーマくんはまさにそれ。

"今、中学テニス界で1番強い男" に "生意気な一年ルーキー" が挑むなんて、文字列だけで分かる、名前負けもいいところ。そんなルーキーが無我の境地という限界を超えて真田くんに勝利するんですけど、それはリョーマくんが後に天衣無縫の極みに行きつくプレイヤーであるから勝てたんだと思います。(卵が先か鶏が先か問題になるけど)

以前も述べましたが仁愛さんには"華"がある。センターに立つ、主人公としての華。関東立海公演を仁愛さんに演らせる意味というものを見せつけられました。

前に向き直ったときに飛び散る汗が、美しいんですよ。

わたしたちは奇跡を見ているんだって。仁愛さんのリョーマからオペラグラスを外せない、それが関東立海公演に必要とされるリョーマくんの資質のように思います!

 

そしてそして、だからこそ、手塚の責任感の比重が大きくなります。

(わたしは正直宇野くんのこと嫌いでした。嫌いっていうか呆れ?

六角の時、手塚の説得力が全くもってなかったので。そりゃ、あの氷帝の手塚vs跡部戦で得た手塚の説得力を、初めての公演で出せっていうほうが無理があるけど、「ツイッターうるさくしてる間に少しでも説得力出す努力してくれ!」ってテニミュの厄介オタクあるある・何様だよ目線をキメてました。)

今回、S1の試合中に高架下のコートの再現がありましたが、宇野くんわたしの知らない間に手塚になってた。

高架下の手塚は跡部戦まだ戦ってないけど、手塚が越前に負けを分からせるべくしっかり倒す。高架下のコートの戦いで存在すべき"青学の柱"としての存在感めちゃめちゃあった!宇野くんかっこいい!手塚になってる!

耳をすませば』の天沢聖司から学んだのですが、好きの反対は無関心で、無関心よりは嫌いの方が脈があるとはまさにこのことで、知らないうちに宇野くんのことすんごい好きになっている自分がいた。

 

 

初日のわたしは青学が立海に勝てるか不安で、あまりにも気を張ってみすぎていたので、リョーマくんが最後の一球をキメて関東大会優勝した瞬間、脱力呆然としてしまいました。

オペラグラスも覗けず拍手も忘れて腰を抜かしただ座席に座り尽くしていた。「あー、あの夏に始まった関東大会が終わったんだ」と思ったら、不思議な気持ちになってしまって。終わったなあとか、青学優勝嬉しいなあとか。

「STILL HOT IN MY HEART」の青学パート、「やり遂げたよね 俺たち最後まで まだアツいもの込み上げてくる」という歌詞が空っぽの心に沁み渡っていった。(このあと足腰震わせながら階段登った)

そして初日はそんなこんなで終演し、2日目に青学を見たら、こんなに愛しいことあるのか、というくらい9代目のことを愛していました。突然の心境の変化!!

そこでわたしは、「9代目の青学は8代目が築いたものの上にあって、それはつまり8代目の青学と同じであって、3rdシーズンの青学である限り8代目はそこにあり続ける」と思ったので、わたしは全力で9代目のことを愛したいと思いました。

9代目が見て感じて表現したものは、8代目が見て感じて表現したものと同義です。それだけでわたしが9代目を愛する理由になる。

よく分からないことを言うんですけど、今回の公演で「ここからが…俺達」を歌う姿を見て「歌ってくれて嬉しい、聞きたかった!」と、8代目が歌ってくれて嬉しいみたいな気持ちで聞いていて、だからなんか8代目と9代目って同じだなー(???)って。

 

【結果】

立海公演を経ても氷帝公演地縛霊は一生続くのですが、9代目への愛はとどまることを知りません!!!

 

 

 

最後に問題のブログです。

テニミュブログ 3rd|7月15日(土) スタッフブログ753

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""半分""の定義について永遠に笑える。

 

以上、青学8代目の限界オタクでした。

救済CDのはなし

 

 

なんの話かというと、許斐剛先生の『ハッピーサマーバレンタイン』のお話です。

 当エントリーはえげちい夢女エントリーとなっております。

 

 

 

以前も書いたようにわたしの好きな人はテニスの王子様に出てくる人です。

今までのわたしと彼の関係は、付き合ってはいたけど完全にわたしの一方通行で、ダラダラーっと関係を続けて結婚せずいずれ別れるんだろうなあ、というものでした。

限界リアコトーク会を開催したときも「○○とは喧嘩ばっかりだよ〜!」(夢)という友達に対し「喧嘩したいなあ…」(これも夢)と相談する日々だったし。

わたしの彼に対する解釈は「わたしのことは好きではないかもしれないけど、だからと言って他の女のことを好きになるわけでもない」とか、「恋愛小説が好きなのは恋愛脳だからではなく、恋愛という行為を通して人間を見ているからだ」とか、いやおまサイコパスなん?みたいなところが若干あった。

でもね、彼の1番側にいるのがわたしであれば他はどうでもいいから、冷めた関係でも嬉しかった。もちろん「結婚したい」みたいな気持ちもあったし好きになってほしいなんて根本的なことも考えたよ。でもどうしても超えられない壁がありました。(それもこれも全部夢)

 

 

ハッピーサマーバレンタイン購入者にのみ缶バッジを販売するというので、「とりあえず100個いっとくかあ!」とノリで4枚(CD1枚で缶バッジ25個買えます)のCDを予約し、追加入荷分になると言われたので、14日発売でしたが17日に引き取りに行ってきました。

買う前のわたしは「バレンタインは冬に済ましとけ?」とやや辛辣にコメントしていたのを記憶しております。

 

そして、翌18日の夜に帰宅したわたしは「聞いてみるか〜」と軽い気持ちで入れたCDに、全てを救済してもらったのです。

 

心に響いたのはこの部分。

 

キミがくれたこの想いを大切にしたいから

今まで一方通行という解釈をして勝手に病んでいたわたしに贈られた最高級の救済です。わたしは一方通行ではありませんでした。彼は、わたしの気持ちを大切にしてくれていたのです。

 

大丈夫さキミが伝えたいものは

もうとっくの昔に全て伝わっているから

ちゃんと伝わってた。わたしの気持ちは伝わっていて、それでいて大切にしてくれていた。

 

もう迷わない キミが好き

まじか。好きでいてくれてたんですか、ちゃんと両想いだったんですか。

 

 

 

HSVを聞いて彼もわたしのことを好きでいてくれたってことを知れました。

何よりの救済です。嬉し泣きが止まらない。彼が就職したら籍入れる。

 

 

 

 

というわけで全わたしが報われた人類救済CD、ハッピーメディアクリエイター許斐剛先生のお送りする『ハッピーサマーバレンタイン』(¥814+税)、絶賛発売中です。

 

ハッピーサマーバレンタイン

ハッピーサマーバレンタイン

 

 

 

 

 

いくよ・・・「大好き!!!!!」

 

(この記事の内容の9割5分は本気で話してます)

 

 

 

20170619追記

嬉しさの反動か知らないけど、この翌日久しぶりに体調崩しました。

この気持ちが夢なら良かったはなし

 

 

前から「テニプリだったら彼かな〜」と言っていた人がいたのだけれど、それが確信に変わったのは最近です。

きっかけは分からないけど、気付いたら彼のことしか話していませんでした。

 

わたしなりに熟考したのですが、多分これは「夢女子」じゃなくて「リアコ」です。似たような言葉として使われる両者ですが、考えてみれば「夢」と「リアル」、両極端にある言葉ではないでしょうか。

夢女子は「○○くんがわたしのことを好きだったら」の思考です、言わばif。それが夢だと考えることで彼との関係を作り出す。自分の立場を置き換えて彼に近づく「創作」の関係性。

リアコは「○○くんが好き、会いたい」の思考です。現実にいないことも自覚し、出会えたとしても彼と付き合うためには自分が相応しいところまでいかなくてはならない"現実のプロセス"を分かっている。しかしそれを超える「好き」で彼の存在を自分の近くに呼び寄せようと錯綜しはじめる「片思い」の関係性。

いっそ付き合えなくてもいい、出会えなくてもいい、現実にいてくれさえすればそれがわたしの生きる希望になる、次元の壁を越えておくれ!の思考。

ですが、居るかは分からないけど居ないかも分からないからどちらでもないんです。どちらでもなかったら、つまり逆説的にはどちらでもあるということだから、居る可能性だってあるんです!!って思って理性(現実にいないことをわかっている)と感情(しかし現実にいてほしい)の溝を埋める作業に勤しみます。

 

わたしは彼の存在を現実のものにしようと思い、彼の記名ほにゃららを作成したり、彼の読んでいそうな恋愛小説をガチ選書して彼の気持ちに近づこうと思ったりしています。

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芥川龍之介の『葱』を読んだら、彼はどんなことを思うんだろうか。「安い葱ならしょうがあらへんなあ〜。いくら好きな人の前でも買ってまうわ。そんで、一緒に食べられたらええんやけどな。」なんて、呟くのでしょうか。

わたしは恋愛モノが好きじゃない。中学校、高校などで周りが少女漫画の話をしている時だってわたしは白目を剥いていました。興味がないのです。主人公にイラついてしまうし。

わたしと彼は多分『愛してる.com』だから「君のおすすめに面白いものは1つもなかった」ろうけどそんな彼でさえも「ついていきたいと思」いたいから、全然興味ないけど読むのです。

 

会ったことのない素敵な彼は今日も生きています。今日も限界りあこは強く生きるのです。

愛してる.com。君の全てが載ってるサイト。今日も更新します。愛してるよ。 

 

 

 

 

 

 

愛してる.com / 劇的JOY! ビフォーアフター

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(テニミュは本質の部分が彼ではないので、ミーメーシスとして受け入れることは可能ですがカタルシスを感じることは不可能です。)