バイバイ アディオス

胸中に収まらなかった時用

行間についてのはなし

お久しぶりです、前回某ハイとローの映画を見たと言い残し何をしてたかと言うと、famをやってました。(相変わらずちょろい)

俳優のオタクだった時代にいろいろ悩んで悩んで、怒ったり悲しんだりするのがアホなの分かってるのに止まらなくって。でも愛と夢と幸せ事務所は「考えなくていーじゃん!」っていう少しの平穏をわたしにくれました。なのでちょっと寄り道です。

 

前回のブログにも書いた通りにこの事務所全般において、行間というものが存在しません。

こんなに行間が生まれないことがあるのだろうか、と色んな歌詞を見ていたのですが、もしかして「日本語の歌詞に気持ちが乗る前に英語が来る」が原因ですか。

ちょっとした隙間を全部英語で埋めるんですよ。日本語の語彙の問題なのか英語への憧れなのかただ単に何も考えていないのかわからないですが、とにかく展開が途切れ途切れなのでこちらの感情と意識を継続することが難しいです。一曲分の文章なんて考えなくても多少の行間が生まれるだろうところを、自ら絶っているのだな、と。

 

思えばこの事務所、何においても「間」や「空白」が出来ないように出来ないように、と、むしろ意図して埋めているような気がしました。

映画もそうです。隙間という隙間を何かで埋めようと。空白があれば音楽を、物を、人を、バックグラウンドを。

といった風に、息をつかせる暇などありません。こちらが考える時間などありません。

なるほど、わたしが初めて見たときに感じた「考えるな、感じろ」は行間を埋めた結果なのだな、と自己完結したりしました。

 

しかしわたしがその後少しずつ知識を得たところ、アーティストとしての実力の高さを知りました。

憧れが努力へと繋がり、努力が結果へ、そしてその結果がまた次の憧れへ、というサイクルが完璧に完成しています。

憧れた少年の「ダンスが好き!歌が好き!もっともっと上手くなって自分たちも憧れを与えたい!そして自分たちが憧れたものを越えていきたい!」という想いが芯に一本硬く太く通っているのでブレずに大きくなっていきます。

ブレないというのは何より強みで説得力がある行動だと思いました。

尽きない向上心、ブレない意志が技術の向上をももたらし、無知なわたしにも「上手いなあ」と分かるくらいのパフォーマンスが出来るんですね。

彼らの裏には「オーディションで合格しこの場に立っている」という確固たる自信があるので、自信の圧がすごいです。それも自身の努力から成るものなので説得力がありますし。

とにかく、ただ「パフォーマンスがすごい!」と言いたいのではなく、パフォーマンスを裏付ける意志が"明確で強いところ"がすごいのです。

 

 

 

だからこそ、行間がないのが勿体ない。

 

曲だって良いメロも山ほどあるんですよ。ちゃんとした人たち(ちゃんとした人たち)が作ってるので当たり前です。でも、引き算がないから、とにかくオケに音数が多い。わたしが今まで聞いてきた音楽は引き算され尽くされたみたいな曲ばかりだったので、それと比べると逆に薄っぺらく感じてしまうんですよね。創作物なんて、感情で補完することでより大きな創作物になると思うんですよ。

つまり隙間がないものを完成させようとした結果に味がなくなってしまった。実力はあるのに。勿体なさすぎる。

 

感情を介さないことで刹那的なものになってしまっています。(まあそれがライブ感なのかな…とも思うけど、それをやめたら目の前にいない何かにも届けられるのに、と思う。空間的な目の前だけじゃなくて時間的な意味でも。)

 

 

 

だから逆に、感情で補完させる隙間を作れたら最強じゃないですか?

わたしは愛と夢と幸せ事務所に行間を希望します。