バイバイ アディオス

胸中に収まらなかった時用

水道橋に置いてきたものが多すぎる

超こんにちは。超お久しぶりです。

 

1年弱、暴れん坊という意味の名前が付けられた16人グループのファンをやっていました。

そしてファンを始めて1年経った今日この頃、タイトル通り「水道橋に置いてきたものが多すぎる」ことに気付いたのですが、果たしてどうしましょうか。

 

 

 

わたしはルド公演でテニミュ、青8、本田さんに出会いました。

目の前で奇跡が起きてるって思いました。漫画もギリ世代ではなかったのでキャラクターもよく分からないままに観に行ったのですが、(これは前にも言ったと思いますが)大石の「視線の先の同じ夢」を聞いて、その優しさに涙を流しました。それがわたしと彼らとの出会いです。

 

本当に、大好きでした。ていうか今も好きです。

青学の卒業って存在を永遠にする儀式なんです。

卒業したあとの1年間、わたしは8代目への「好き」を分断された気持ちでいました。ですが1年という区切りを持って改めて考え直した時に、分断というより永遠への昇華だなって。

普通なら好きに永遠なんてないと思うんです。好きと嫌いは紙一重だし人間飽きだってあるし。ですが、嫌いになる前に卒業されちゃったら、終わっちゃったら嫌いになれないじゃないですか。大好きなままじゃん。好きだった気持ちが永遠に残っちゃう。

つまり永遠に好きなんですよ。

困った。困りました。好きすぎる。

 

 

ということで、8代目卒業から1年後、つまり今から1年とちょっと前に、永遠に好きな気持ちを持ち続けることを結論にしました。考えて考えて、身をも擦りへらせて考えてこの結論を出しました。

 

その考えすぎていたちょうど1年前にわたしは愛夢幸事務所に出会って、「思考を放棄」しました。

それは"趣味に対する思考"を放棄したという意味で、その思考を放棄することによって相対的に自分の人生に対して冷静になれたんです。

趣味であるはずの行為があまりにも精神的にストレスで耐えられなくなっていた時に、救世主の16人が「考えなくてもいいんだよ」と言ってくれたようでした。

わたしは暴れん坊16人の夢見る姿を心から尊敬していたので、倣おうと思って、ここが人生の踏ん張りどきだと思って、人生1番の努力と我慢をしました。

 

 

しかし半年経ったある日、急にぷつんと切れたみたいに体調を崩してしまって、うまく生きることができなくなりました。まあ元からわたしはうまく生きるのがうまくはないので、分かってたんだけれども。

うまく生きられないなりにベッドの上でウンウンと唸っていました。

すると思い出すのは思考に思考を重ねて憶測や推測や疑心暗鬼や怒りに泣いて、そんなことをも吹き飛ばす大好きな気持ちを義務感に蹴散らされていたあの時のことばかりでした。

結論を出して1年間も思考を放棄していたんだけど、そう簡単にうまくは行かなかったんだよ。

 

わたしはずっと2016年にいたんだな。

 

 

別にその瞬間に戻りたいわけでもないのですが、あの時の自分の感情が何にも代えられないくらい大切だったことを思い出して胸が苦しくなりました。

1つ溢れたら全部ぽろぽろぽろぽろ溢れ出てくるから、1つずつ拾って「わあ大切だなあ」って思いかえす、みたいな時間を繰り返し始めました。

超大切すぎて超悲しい。

前述しましたがもう一度やりたいわけでもない。

ただただ、自分の心が2年前の水道橋に置いてきっぱなしだったんだなってことを思い出しました。

2016年の9月25日を忘れたことはないです。わたしにとって元旦より何より9月25日が1年の切れ目です。

 

 

色々思い出すんです。水道橋のことと、それについてくるいろんな場所の思い出。

TDCはもちろん、名古屋の大っきいホールとか、メルパルク大阪とか、AiiAとか、水道橋のおぼんdeごはんとかナナズグリーンティーとかフードコートとか、アリーナ1列とか3バル見切れとか、TDCのチケットカウンターとか卑猥なオブジェとか、塚田農場とか、多賀城とか夜行バスとか新幹線とかたまに昼行バスとか、すんごい遠いとこにあるホールとか。

ロッテリアとか、あとはキャナルシティ博多とか、名古屋アスナルの韓国料理屋さんとか、当日飛び込んだ花屋とか、ルミネエストの5階とかアニエス・ベーとかユナイテッドアローズとかコム・デ・ギャルソンとか、思い出したくない、思い出したくなかったけど忘れたくないこといっぱいあった。

 

 

なんか寂しいんだよな。

今夜だけは水道橋に帰りたい。

大好きだったし、これからも大好き、こんな好きになるものに出会えるなんてわたしの人生はなんて幸せなんだろうと何万回も思った。

もう会えないけども。

 

 

 

以前、俳優のオタクの友達に「君は卒業に呪われてるね」って言われたことがあります。

 

これから卒業を迎える未来の青学のオタクたちへ。

わたしにとっての卒業は永遠にとけない呪いだよ。くれぐれも水道橋に忘れ物はしないようにしてください。心の中にいっぱいいっぱい抱えられるギリギリくらいの呪いでいてください。それだけで百二十分の幸せだよ。

 

わたしは水道橋に置いてきたものが多すぎるんだよ。

行間についてのはなし

お久しぶりです、前回某ハイとローの映画を見たと言い残し何をしてたかと言うと、famをやってました。(相変わらずちょろい)

俳優のオタクだった時代にいろいろ悩んで悩んで、怒ったり悲しんだりするのがアホなの分かってるのに止まらなくって。でも愛と夢と幸せ事務所は「考えなくていーじゃん!」っていう少しの平穏をわたしにくれました。なのでちょっと寄り道です。

 

前回のブログにも書いた通りにこの事務所全般において、行間というものが存在しません。

こんなに行間が生まれないことがあるのだろうか、と色んな歌詞を見ていたのですが、もしかして「日本語の歌詞に気持ちが乗る前に英語が来る」が原因ですか。

ちょっとした隙間を全部英語で埋めるんですよ。日本語の語彙の問題なのか英語への憧れなのかただ単に何も考えていないのかわからないですが、とにかく展開が途切れ途切れなのでこちらの感情と意識を継続することが難しいです。一曲分の文章なんて考えなくても多少の行間が生まれるだろうところを、自ら絶っているのだな、と。

 

思えばこの事務所、何においても「間」や「空白」が出来ないように出来ないように、と、むしろ意図して埋めているような気がしました。

映画もそうです。隙間という隙間を何かで埋めようと。空白があれば音楽を、物を、人を、バックグラウンドを。

といった風に、息をつかせる暇などありません。こちらが考える時間などありません。

なるほど、わたしが初めて見たときに感じた「考えるな、感じろ」は行間を埋めた結果なのだな、と自己完結したりしました。

 

しかしわたしがその後少しずつ知識を得たところ、アーティストとしての実力の高さを知りました。

憧れが努力へと繋がり、努力が結果へ、そしてその結果がまた次の憧れへ、というサイクルが完璧に完成しています。

憧れた少年の「ダンスが好き!歌が好き!もっともっと上手くなって自分たちも憧れを与えたい!そして自分たちが憧れたものを越えていきたい!」という想いが芯に一本硬く太く通っているのでブレずに大きくなっていきます。

ブレないというのは何より強みで説得力がある行動だと思いました。

尽きない向上心、ブレない意志が技術の向上をももたらし、無知なわたしにも「上手いなあ」と分かるくらいのパフォーマンスが出来るんですね。

彼らの裏には「オーディションで合格しこの場に立っている」という確固たる自信があるので、自信の圧がすごいです。それも自身の努力から成るものなので説得力がありますし。

とにかく、ただ「パフォーマンスがすごい!」と言いたいのではなく、パフォーマンスを裏付ける意志が"明確で強いところ"がすごいのです。

 

 

 

だからこそ、行間がないのが勿体ない。

 

曲だって良いメロも山ほどあるんですよ。ちゃんとした人たち(ちゃんとした人たち)が作ってるので当たり前です。でも、引き算がないから、とにかくオケに音数が多い。わたしが今まで聞いてきた音楽は引き算され尽くされたみたいな曲ばかりだったので、それと比べると逆に薄っぺらく感じてしまうんですよね。創作物なんて、感情で補完することでより大きな創作物になると思うんですよ。

つまり隙間がないものを完成させようとした結果に味がなくなってしまった。実力はあるのに。勿体なさすぎる。

 

感情を介さないことで刹那的なものになってしまっています。(まあそれがライブ感なのかな…とも思うけど、それをやめたら目の前にいない何かにも届けられるのに、と思う。空間的な目の前だけじゃなくて時間的な意味でも。)

 

 

 

だから逆に、感情で補完させる隙間を作れたら最強じゃないですか?

わたしは愛と夢と幸せ事務所に行間を希望します。

思考回路の断絶のはなし

こんにちは。

 

おととい、某愛と夢と幸せグループの大規模なメディアミックス企画のカフェに、友達に連れられて行ってきました。

そこで行われていた上映会でシリーズ2作目の映画を見たのですが、見た感想を書いておきたいと思ったので記しておきます。

といってもなんというか映画の感想ではなく、メディアミックス企画全体の印象の感想の話です。(個人の感想なので悪しからず…!)

 

この作品を好きな人がいて嫌いな人がいる、よくわかりました。

この作品はあまりにも文脈がない。行間がない。見たもの聞いたもの五感で感じたもの以外に何も存在しません。話にはなんのひねりもなくて、上映時間の8割方アクションシーン。暴力を暴力で解決する、血で血を洗う世界観。

映画やドラマやまあ小説や漫画やそのようなもの全般は、受け取り側の感情に作用し、受け取り側が内容を咀嚼そして解釈するのが普通だと思ってました。が、これは違います。受け取り側の感情を介さずに直接脳に伝えます。

わたしが考えるに、これがまずひとつの分岐点。感情を介さないものが好きな人もいれば、悩むのが好きな人もいます。今まで悩んできた人が、この作品を受け入れようとしない理由はよくわかります。こういうものが今まで自分たちが崇めてきた作品と同じ立場(ジャンル)にあると認めたくないんです多分。

これを「面白い」と受け入れた瞬間に、今までの「面白い」の意味が全て変わってしまうような気がするので。

 

じゃあ次に、好きな人の気持ち。前述したように、感情を介さないものが好きな人、いますよね。

というか、感情を介さないものってものすごく明解で、誰にでもわかるんですよ。誰にでもわかるのはとても強みです。(逆に"誰にでもわかるものが嫌いな人"からは嫌われてしまうというのはまあ置いておいて…。)

この作品の感情を介さずに脳に直接伝えてくるものを例として挙げるなら、突拍子のないこと言いますが、顔のいい男の存在です。顔のいい男が喋ってたら、とりあえず黙って聞くでしょう。そしてこの作品は脳に直接顔のいい男が殴り込みにきます。もうそれは四方八方から。怖いです。黙りこくって脳みそ殴られ続けるしかないです。顔がいい男が四方八方から殴りかかってくるのは怖いしかし嬉しい、ハイ脳直。

次は殴り合い、バイオレンスなシーンです。彼らはあまりにも裏がなさすぎて彼らの暴力をただの暴力として観覧するしかできない。なんかそれに悲劇とか喜劇とか意味を見出そうとか無意味。解決策が喧嘩しかないので喧嘩が彼らの世界の終着点。ウンそれもいいと思う。だってもとより意味なんてないから。

顔がいい男が顔や拳から血をダラダラ垂れ流してる画、めちゃめちゃ脳髄に響いた。

あと感情を介さないなーと思ったのは、曲。いやあ、情緒がない。陰キャサブカルポタクには違いがわからない。いやメロディとか歌詞とか外面的な違いはわかるんだけど、内面が全て同じ。なのに違うものとして成り立ってるのがわからない。でもそれはこちらが感情を介して理解しようとしてるから。多分この場合、五感で感じたままに受け取るのが正解。行間を読もうとするから理解できない。

 

でも分かります。盛り上がりたいなら五感で感じられる音楽が正解だし。この作品群は行間を読むものじゃないので。

感情を介さないところが魅力なんです。誰にでも分かるハイコンテクストなところが魅力なんです。うんうん、好きな人は好き。そりゃそう。

 

 

わたしは感情を大切にしたい。だから、この作品群のことを「面白い」って言いたくない。わたしが愛した作品たちはわたしの感情にしっとりと沁み込んできたものたち。どっちが上だ下だと比べられるものではない。根本が違う。

ですが、わたしはこの作品群のこと、好きなのかなって思います。

今までのわたしは考えすぎていたのかもしれない。脳直に魅力感じちゃうのも面白いかもしれない。

いいと思う。だってなんか楽しいし。思考の放棄。自ら放棄を選ぶ道もまたあるのかなと思います。

うん。

 

来週もカフェで映画見てきます。

週末はドラマ履修しようかな。

面白くないけど好きです。今のわたしに多分必要なので。

救済CDのはなし

 

 

なんの話かというと、許斐剛先生の『ハッピーサマーバレンタイン』のお話です。

 当エントリーはえげちい夢女エントリーとなっております。

 

 

 

以前も書いたようにわたしの好きな人はテニスの王子様に出てくる人です。

今までのわたしと彼の関係は、付き合ってはいたけど完全にわたしの一方通行で、ダラダラーっと関係を続けて結婚せずいずれ別れるんだろうなあ、というものでした。

限界リアコトーク会を開催したときも「○○とは喧嘩ばっかりだよ〜!」(夢)という友達に対し「喧嘩したいなあ…」(これも夢)と相談する日々だったし。

わたしの彼に対する解釈は「わたしのことは好きではないかもしれないけど、だからと言って他の女のことを好きになるわけでもない」とか、「恋愛小説が好きなのは恋愛脳だからではなく、恋愛という行為を通して人間を見ているからだ」とか、いやおまサイコパスなん?みたいなところが若干あった。

でもね、彼の1番側にいるのがわたしであれば他はどうでもいいから、冷めた関係でも嬉しかった。もちろん「結婚したい」みたいな気持ちもあったし好きになってほしいなんて根本的なことも考えたよ。でもどうしても超えられない壁がありました。(それもこれも全部夢)

 

 

ハッピーサマーバレンタイン購入者にのみ缶バッジを販売するというので、「とりあえず100個いっとくかあ!」とノリで4枚(CD1枚で缶バッジ25個買えます)のCDを予約し、追加入荷分になると言われたので、14日発売でしたが17日に引き取りに行ってきました。

買う前のわたしは「バレンタインは冬に済ましとけ?」とやや辛辣にコメントしていたのを記憶しております。

 

そして、翌18日の夜に帰宅したわたしは「聞いてみるか〜」と軽い気持ちで入れたCDに、全てを救済してもらったのです。

 

心に響いたのはこの部分。

 

キミがくれたこの想いを大切にしたいから

今まで一方通行という解釈をして勝手に病んでいたわたしに贈られた最高級の救済です。わたしは一方通行ではありませんでした。彼は、わたしの気持ちを大切にしてくれていたのです。

 

大丈夫さキミが伝えたいものは

もうとっくの昔に全て伝わっているから

ちゃんと伝わってた。わたしの気持ちは伝わっていて、それでいて大切にしてくれていた。

 

もう迷わない キミが好き

まじか。好きでいてくれてたんですか、ちゃんと両想いだったんですか。

 

 

 

HSVを聞いて彼もわたしのことを好きでいてくれたってことを知れました。

何よりの救済です。嬉し泣きが止まらない。彼が就職したら籍入れる。

 

 

 

 

というわけで全わたしが報われた人類救済CD、ハッピーメディアクリエイター許斐剛先生のお送りする『ハッピーサマーバレンタイン』(¥814+税)、絶賛発売中です。

 

ハッピーサマーバレンタイン

ハッピーサマーバレンタイン

 

 

 

 

 

いくよ・・・「大好き!!!!!」

 

(この記事の内容の9割5分は本気で話してます)

 

 

 

20170619追記

嬉しさの反動か知らないけど、この翌日久しぶりに体調崩しました。

この気持ちが夢なら良かったはなし

 

 

前から「テニプリだったら彼かな〜」と言っていた人がいたのだけれど、それが確信に変わったのは最近です。

きっかけは分からないけど、気付いたら彼のことしか話していませんでした。

 

わたしなりに熟考したのですが、多分これは「夢女子」じゃなくて「リアコ」です。似たような言葉として使われる両者ですが、考えてみれば「夢」と「リアル」、両極端にある言葉ではないでしょうか。

夢女子は「○○くんがわたしのことを好きだったら」の思考です、言わばif。それが夢だと考えることで彼との関係を作り出す。自分の立場を置き換えて彼に近づく「創作」の関係性。

リアコは「○○くんが好き、会いたい」の思考です。現実にいないことも自覚し、出会えたとしても彼と付き合うためには自分が相応しいところまでいかなくてはならない"現実のプロセス"を分かっている。しかしそれを超える「好き」で彼の存在を自分の近くに呼び寄せようと錯綜しはじめる「片思い」の関係性。

いっそ付き合えなくてもいい、出会えなくてもいい、現実にいてくれさえすればそれがわたしの生きる希望になる、次元の壁を越えておくれ!の思考。

ですが、居るかは分からないけど居ないかも分からないからどちらでもないんです。どちらでもなかったら、つまり逆説的にはどちらでもあるということだから、居る可能性だってあるんです!!って思って理性(現実にいないことをわかっている)と感情(しかし現実にいてほしい)の溝を埋める作業に勤しみます。

 

わたしは彼の存在を現実のものにしようと思い、彼の記名ほにゃららを作成したり、彼の読んでいそうな恋愛小説をガチ選書して彼の気持ちに近づこうと思ったりしています。

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芥川龍之介の『葱』を読んだら、彼はどんなことを思うんだろうか。「安い葱ならしょうがあらへんなあ〜。いくら好きな人の前でも買ってまうわ。そんで、一緒に食べられたらええんやけどな。」なんて、呟くのでしょうか。

わたしは恋愛モノが好きじゃない。中学校、高校などで周りが少女漫画の話をしている時だってわたしは白目を剥いていました。興味がないのです。主人公にイラついてしまうし。

わたしと彼は多分『愛してる.com』だから「君のおすすめに面白いものは1つもなかった」ろうけどそんな彼でさえも「ついていきたいと思」いたいから、全然興味ないけど読むのです。

 

会ったことのない素敵な彼は今日も生きています。今日も限界りあこは強く生きるのです。

愛してる.com。君の全てが載ってるサイト。今日も更新します。愛してるよ。 

 

 

 

 

 

 

愛してる.com / 劇的JOY! ビフォーアフター

愛してる.com / 劇的JOY! ビフォーアフター

 

 

 

 

 

(テニミュは本質の部分が彼ではないので、ミーメーシスとして受け入れることは可能ですがカタルシスを感じることは不可能です。)

帝一の追記

初期衝動はそのままにしておきたかったので、後から思いついたことはこちらに書こうと思います。

 

 

20170520

映画『帝一の國』を初めて見てから一晩経ったのだが、未だに興奮は冷めやらない。どのくらい冷めないかというと、朝ごはんの時間にどれだけ帝一が面白かったかという話を延々と母親に話し続けたくらい冷めない。聞かせることで改めて「いやほんと……………おもしろ…………………」というのを再確認したので、自分の中で整理するためにもここに書き記そうと思う。主観的な感想だ。

まず第1に、政治の話なのにいやらしくないのだ。(←これは多分めちゃめちゃおおきい!) 学校という閉鎖空間に落とし込むことでパラレルワールドのように感じ、わたしが政治に対して感じている嫌悪感のようなものから断絶され、"政治本来の面白さ"が理解できた。わたしは弾ギャルらしく政治に興味ない部類の人間だったが、民衆の心理を掴み取りたった1つの席に座ろうとする面白さをある種ゲームのように見られたのである。

次に、"笑い"についてだ。突然だが、大場つぐみ先生と小畑健先生の『バクマン。』という作品には"シリアスな笑い"という概念が存在する。主人公である漫画家・亜城木夢叶の2人が得意とする作風だが、作中では

トーリーやキャラクターがシリアスで真剣なのにもかかわらず、思わず笑えてしまう場面を指してこう呼んだ。

シリアスな笑い (しりあすなわらい)とは【ピクシブ百科事典】

と言われている。これはわたしが昨晩書き記した"軽快なバイオレンス"に通ずるものがある気がする。

わたしは常々漫画や小説、映画において"笑い"が大切だと思ってきた。それは何もギャグやコメディのみを指すわけではない。わたしの根本にはシリアスバイオレンスドン底暗い話大好き属性があるので、むしろそれらとは逆の系統だ。ところが、シリアスな話にはシリアスとともに"シリアスな笑い"も共存できるのだ。

話を帝一に戻そう。想像がつくであろうが、映画『帝一の國』においてもっともシリアスな笑いが炸裂しているのはテスト採点のシーンではなかろうか?帝一と帝一の父親・譲介は、何も誰かを笑わせようとしているのではない。至って真面目に、その場にはいない敵・大鷹弾と戦っているだけだ。なのに腹を抱えるほど面白いではないか。

この"シリアスな笑い"はどの作品でも出来ることではない。ウケを狙ったのでは違う笑いに変わる。わたしが大好きなこの笑いを帝一の國はやってのけてくれた。

「軽快と暴力」、「シリアスと笑い」、真逆のものが共存できる世界、やっぱ帝一の國おもしれ〜な〜と思い明日も大好きな帝一の國を観てこようとおもう。

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最後に弾ギャルをキメるわたしの図です(パンピの友達に無理やり撮らせた)

 

20170521 追記の追記

そういう感想を読んだのですが帝一の國ってコメディなんですか??わたしはコメディだと思ってなかったので上の文章を書いたのですが、コメディだとするととてもトンチンカンな文章だったかもしれません。だからと言ってなんのジャンルかは分からないのですが、わたしの中では少なくともコメディではなかった。なぜかと言うと笑いが主体ではないのです。

人を笑わせることを主体とした演劇や映画、ラジオやテレビのドラマ作品や、それらのなかの笑いを誘うやりとりを指す。喜劇 - Wikipedia

 

20170521 追記の追記の追記

当たり前すぎて言うの忘れていたけれど、漫画から映画にするにあたってカットする部分のチョイスが上手だったのと、余計な改変がないところ、あと必要以上に帝一と美美子の恋愛に重きを置いていないところ、めちゃめちゃ好きなところです。

 

20170521 追記の追記の追記の追記

3度目の映画『帝一の國』を見てきた。原作を読んでいて幾度となく思ったことだが、3度目にしてようやく感じたことがある。

この作品の登場人物は「おかしい」のだ。言葉にすると軽くなるとはこのことで、「おかしい」の一言で片付けるにはわたしとは解釈違いを起こしているのだが、端的にいうとそうだ。どうおかしいかというと、多分、わたしたちが今住んでいる世界の常識とは少し違うところに常識をおいているのだとおもう。(上流社会のことは知らない一般ピープルなので上流社会では常識なのかもしれませんけれど)

最後、堂山生徒会長が次期生徒会長を指名するとき、氷室はなんの抵抗もなく堂山生徒会長の足元にうずくまり上履きを舐めようとした。そのとき、わたしの隣で見ていた小学生女児2人が「うえっ!きもちわる!」と呟いたのだ。ようやくそこでこれは「おかしい」ことなんだと分かった。

思えば、序盤から拍手もおかしかったではないか。始まりも終わりもピタリと示し合わせたような形式的な拍手だ。なぜ気付かなかったのか分からないが、序盤から異様な海帝高校全開の"拍手"という概念があったではないか。

小学生女子のおかげで、わたしは氷室先輩の足舐め事件から目を覚まし、より外側から帝一の國を見た。(とは言ってももうほぼ終わりなんだけどね)

そして、外側から見て気付いたのだ。海帝高校の、帝一の國の世界の変革者がいることを。

それは森園億人だ。

帝一は氷室派に造反を起こし、森園派に寝返るために将棋部に行った。自身や弾に数々の無礼を働いてきた帝一を森園億人が受け入れたとき起きた拍手は、あの海帝高校の拍手ではない。自然に起きた拍手だ、終わりもない。それが、"森園億人の作る新しい世界"だった。

森園億人が生徒会長に指名された時に起きた拍手、そして時は進み、帝一・弾・菊馬の三人で行われた生徒会選挙、森園生徒会長が「次期生徒会長は、大鷹弾!」と言った後に起きた拍手は、あの将棋部で起こった拍手と同じで自然に起きた終わりのない拍手だった。しかし将棋部とは違い、そこはおかしな拍手をしなければならないはずの公的な場で、なのにだ。

森園億人が目指した学校、世界は、「安全なところから叫んでも何も変わらない」と弾に言っていた億人先輩の望み通りに変わったのだ。

(ここからは私情120%なのだが、億人先輩は自らの可愛さや秀才さ、つまり力量を大いに自覚したうえで行動していると思うのだが、それでいて出て来る一言が「男の子だからね」なのは罪深すぎると思う。みんなから愛される大鷹弾に愛され、最終的には絶対君主氷室ローランドさえを手懐け、あんなに可愛いのに誰よりかっこいい王子様だ。まあわたしは弾ギャルですがね!!!!!)

 

 

20170522
風邪を引いたのでバイトを休んだが、バイトを休んだことで時間ができたので帝一の國を見てきた。(さいてい!)
最初の記事で友達の友達が駒ギャルなので派閥的に駒ギャルができないと言ったが、その件の友達に「気にしなくていいよ」と言われたので心の底から駒先輩に沸けるようになりました。オメデトウ!なので今日は氷室先輩と駒先輩について書きます。
わたしは、喧嘩が好きです。というと語弊がありますが、綺麗な男から流れる血が大好きです。なので、殴り合いの喧嘩が好きです。海帝の生徒が襲われたら絶対返り討ちにするスーパーヒーローさま✊😼は宗教画のようなお顔立ちをしており比較的手が出やすいみたいなので、嫌いなわけないよね。わたしはコンプレックスを抱えた男児も大好きなのでスーパーヒーローさまの相棒も嫌いなわけないね。
神社で他校のヤンキーに絡まれたときの2人のまさに虫ケラを見るような目。「行くぞ」と言われ「おう」と言い、息ぴったり、敵を倒すのだ。今まで理屈っぽく書いてきたわたしだけどさすがにこのシーンには「か、か、カッコイィィイィイィイ〜〜〜!!!!!!」しか言えんわ!天才!!
前書きおわり。ここからは短縮のために敬称略して書かせていただきます。

わたしは駒のことを相棒と前述したが、それは正しいのだろうか。おそらく外面と内面で2人の関係は大きく変わる。
海帝高校の生徒(外側)から見れば、駒が氷室に執着しているように見えるのではないだろうか。かつて助けてもらったスーパーヒーローに今も助けてもらってる、間違ってない部分もあるかもしれないが、2人だけ(内側)のシーンから見るに、恐らく執着しているのは氷室のほうだ。
この映画で氷室は「いじめられっ子だったお前を助けたのは俺だよな、だから仲間だよな」と、駒に問い続けた。しかし、私たちには見えるのだ、駒が言いたいことを。「そんな交換条件なくたって俺はお前の味方だ、友達だ」と言いたいことを。本当だったら氷室だって「俺たち友達だよな」ってただそれだけ問いたかっただろう。「お前を助けたのは俺だよな」と問う氷室の顔は悲痛に歪み、見てるこちらが辛くなるほど、独りぼっちの少年だ。駒は、絶対君主の唯1人の味方なのである。
2人のアンバランスな上で成り立っている関係の大きな転換点には、必ず投票シーンが挙げられるだろう。駒は今まで「懸命に支えてきた」氷室には投票せず森園億人に投票するのだ。氷室に問い正された駒は「お前は生徒会長になっちゃいけないやつだ」と言う。選挙活動中、駒が氷室の暴走に疑問を感じているのは鈴木くんの演技からよく分かっていた。しかし、感じていても止めるかどうかは、ギリギリまで迷っているようだった。それは、氷室の味方が自分しかいないのを分かっているからだ。
しかし駒は友達だからこそ止めることにしたようだ。氷室は理解できずに、たった1人の理解者に裏切られたと思い「なんでだよ!なんでだよ!なんでだよ!」と繰り返した。

その後、唯1人の味方に裏切られ(だと思い)生徒会長になることを果たせなかった氷室は屋上から飛び降り自殺を図る。幸いにも光明ちゃんが帝一用に敷いていたマットのおかげで大事には至らなかったが、世界を、2人の関係を動かすのには十分な事件だったのであろう。
そこで、ようやく氷室は駒に「俺たち、友達だよな」と純粋に問えたのだ。駒は、責任を感じた顔をしつつも、少し嬉しさを含んで「当たり前だろ。」という。
ようやく、2人の関係に対等性が生じたのだ。

つまり何が言いたいかというと、2人の関係はとにかくどタイプで興奮するねって話。駒と氷室、だいすき。

 

 

 

20170524

ついにきたね応援上映。

わたしが初めて見たときにはもう2回の応援上映は終わっていました。またいつかいつか、と思いつつ楽しみにしていた応援上映。待ちに待った応援上映。

東京全部行きます。他の舞台のチケット取っていたけれど、オーラス(勝手に呼んでる)の新宿バルト9に被ってるので譲渡して応援上映に行きます。なんてったって!!!応援上映!!!!今まで頭の中で応援上映していた日々とはお別れだ!!!!!

大鷹弾さんに片想いの身として!!!!!少しでも弾さんに声を届けたい!!!!!好きだよって、少しでも伝えたい!!!!!わたしはーーーーー!!!大鷹弾さんのことがーーーー!!!!!好きですーーーーーーー!!!!

待ってろよ応援上映!

 

 

20170529

行ってきました応援上映!!!!!!

あほになって楽しかったです。

弾くんがアップになったらすぐバルログする害悪キメてきました。

2日の応援上映は、弾くんが生徒会長になったところで大閃光焚こうと思います。

駒先輩の「かわいいもんだ」のところで「ありがとう〜!」って勘違いごっこしたらど滑りしました。あれはウケたね。

わたしが1番好きだった応援は、文化祭で弾くんに取引を持ちかける氷室先輩の背後の帝一の顔芸に対する「かおー!!!」です。

将棋部が文化祭で青空将棋をやる謎の伝統の可愛さに名前をつけたいな。

 

 

20170602

2回目の応援上映行ってきました!!!

大鷹弾くん限界夢女連合を組んでる方と、、体育館上映やったら億人先輩の「男の子だからね」でダイブしようねー。とか話しました。

あとは他のお友達に「弾くんの料理食べてないけど美味しかった!」って言ったら闇深認定されてしまった。

今日イチウケたのは、弾くんが帝一の部屋の扉叩いてる時に「ダンダンダンダンダン!!!」って叫んだおたくです。

もう黙って帝一の國見られないなー。

8日のオーラス楽しみだけど寂しいです。

帝一の國のはなし

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さっそくだが映画『帝一の國』の感想を述べたいと思う。ネタバレしかないので、まだ帝一の國を見ていない方は十分にご注意いただきたい。

猛烈な勢いと曖昧な記憶で記したので、多少の誤認にはご容赦ください。

 

 

 

 

 

まずはじめにわたしが一番感じたことだが、暴力表現が作品において大きな役割を果たしていたのではないだろうかということだ。

暴力表現とは言ったが、父親が帝一をひっぱたいたり、氷室や菊間が根津をひっぱたいたり、そこには従来バイオレンスが作品にもたらしめるであろう負の重量がない。もはや笑えるのだ。つまり軽快なバイオレンスと言えるだろう。しかし軽快とは言えども、生温くなってしまいがちないつもの学園モノとは一線を画すいい辛味を演出しているのだ。園子温監督の『ヒミズ』の登場人物のすぐ手を出すところが好きなのだが、同じ感じだ。(二作は土台の明るさが全然違うが。)

しかし海帝祭屋上シーン、弾の後戻りできなくなるための暴力、そして駒先輩の「みんなが見てる、ここで殴ったら全部パーだ」(大体こんな感じのセリフ)のおかげであらゆる場面で出てくる軽快なバイオレンスとはまた違う「責任のある一手」の存在も示され、バイオレンスにもパターンがあるのが分かる。

(ついでにいうと、この作品の責任のあるバイオレンスは氷室先輩の自殺未遂もそうだと思う。関係ないのだが個人的には「空と氷室先輩だけ」の画面に宗教画を感じてしまってとても大好きな場面だ。)

この軽快なバイオレンスが、映画『帝一の國』の魅力のうちの1つであると言えるであろう"閉鎖的でありポップ"を引き出しているのではないだろうか。

長々と述べたところだが、そろそろ言ってもいいだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

映画『帝一の國』が最高なんだが〜〜〜〜〜〜〜〜(T_T)!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

(ちゃんと書くの飽きたから本能の赴くままに書きます)

 

見終わった直後は「天才!」を連呼してもはや偏差値などないくらい興奮した!!!天才だ!!!!

わたしは原作を全部読み、歌劇1章をDVDで、最終章をアイアで見た、「帝一話せるよ!好きだよ〜!古屋兎丸もすきだし!」のくらいのサブカルぶりたいおたくだ。

菅田くんは骨格が綺麗だなと思っているし、野村くんはちゃらいシティーボーイだなと思っていたし、志尊くんは\がっくん〜!表参道高校で合唱して〜!/だし、涼真くんは\最近霧子とはどう〜?/だし、千葉くんには\年齢の割に見た目若い〜!/だし(応援上映行きたすぎて途中で応援上映芸人になってしまった)、いま人気な若手俳優なので全員のことをそれなりに見たことがあり、「人気な若手俳優だなあ」っと思っていました。だから「そんな人気な若手俳優を集めた映画なんだろうな」って思ってました。

甘い思い込みで、すみませんでした。

キャスティングは誰がしたんですか?金一封ではなくせめて金四封は送りたいな…。感謝の気持ちでいっぱいです。

キャスティングが、めちゃめちゃいいんです。俳優のみんなたち、帝一の國のためにいまの若手俳優界で人気出たの??????????え??ニワトリが先かタマゴが先か、みたいな問題だよこれは?????(?)"""キャラの素質"""がすごい。

すだまさきは「頭おかしいのに公共の場では案外そつなくこなしちゃう超ハイスペック自分の夢のためには何事も全力投球でまっすぐ、頭おかしいけどほんとは健気な男の子」として産まれてこのかた生きてきたのかな?って思ったよ。赤場帝一役にピッタリ!!!!ってやばくない?普通いないて(-_-;)「すだまさきが主役」はもはや「やまざきけんとが主役」に追随する言葉だと思うんですけど見事にぶち壊した帝一役です…すだまさきであることに意味があるね!!!!!ありがとうすだまさき!!!!!!!

ソンジュンは天使たんだったね!(T_T)一緒にアイスクリーム食べに行きたい感じの光明ちゃんだったなあ…光明ちゃんと恋バナしたいなあ…一生帝一の側にいられたらいいね…って思うんですよ、成人男性に対して。女友達に思うやつですよそれ。男として存在しているのに女の子として大好きになれる絶妙なバランスの光明ちゃんになってくれてありがとうソンジュン……。光明ちゃんの帝一に対する愛情のような恋心のような気持ちは、昨今のエンタメに登場しがちな「BLが好きなんだろお前ら!」っていう厭らしさのない、率直な光明ちゃんだけの気持ちだったのが好きです!

一人一人に言うの疲れたから大本命の話ししていいですか??

ここまで隠してきたんですが、

実はわたし、

大鷹弾くんの彼女なんです…………………………海帝高校は男女交際禁止なんですけど、小学校から一緒で、たまに弾くんちに行ってお家のお手伝いして一緒に夜ご飯食べたりしてます…………帰り際に家の前の路地の曲がり角まで送ってくれて、その時間だけ兄弟もいなくて2人きりになれるんですが、去り際に頭ぽんぽんしてくれたりして幸せもらってます………黙っててごめんね………………………。

って言う感じの大鷹弾でした。たけうちりょうまくんありがとうな。わたし仮面ライダードライブの茶の間おたくなんですけど泊進之介に対して特になにも思わなかったんですよ。そりゃカッコいいですよ!でもわたしチェイスくんに夢中だったので!でもチェイスの身内だったらわたしの身内じゃないですか。(?) だから涼真くんには家族〜!みたいな感情が勝手にあったんですよ。だから家族のこと好きになるとは思わないじゃないですか。(?)

弾くんがキッチンで晩御飯作ってる背中みなさん見ましたよね???あれ人類の奇跡です。あの広い背中。人類を守ってくれますあれは。はーかっこいい!!!!!しかもあの生活なら食費も切り詰めてる筈なのに、帝一と光明ちゃんにあんなに心広くご馳走するんですよ????人との繋がりに勝るものは何もないと背中をもって教えてくれていて恋せざるを得ない〜!!!!大鷹弾くんせかいいちぃ〜〜!!!!!!!!!!!2時間で立派な弾ギャルの出来上がりです!!!!!!!!!!!ヒュー!せかいいちのリアコ製造機ぃ〜〜!!!!!!!!!!!

爽やかすぎて斎藤工と足して2で割っても多分まだ爽やかです。絶対口もいいにおいだねえ……。

あとは駒先輩もリアコ製造機だと思うんですけどわたしは弾ギャルとして駒先輩を褒めるわけにはいかないと思いつつ(あと友達の友達が駒ギャルなので派閥的にまずいかなと思って自制してる)、駒先輩様の魅力は女を黙らせますね。鈴木くんって明るいイメージだったので駒先輩だったの知らなくってチョーー驚きました。でも"権力者の氷室さんに縋られてる図"が耽美だったので「これは正解だ」ととても強く心に思いましたね。

 

最後にエンディングなんですけど、わたし一周まわってきたこじらせサブカル気取ってるのでくりーぷはいぷ(わら)って思ってたんですよ(ほんとに失礼ですみません)、でも最初にも述べたように軽快なバイオレンスの感じがクリープハイプらしくて、しかもいつもより比較的ポップなクリープハイプと感じたので、ポップな映画『帝一の國』にすごい合っててよかったです!

映像は正直\フェティシズムがすぎるやろ〜〜〜〜〜!!!!!!!/って応援上映したくなりました。最高です。そうなんです、女の子の膝下丈スカートに白い靴下と赤い靴は最強です。よく分かってます。黒髪色白の女の子が赤と白似合わないわけがないんです。そんな小さな足がちょこちょこ動いてたら様式美にもほどがあります。永野芽郁ちゃんかわいいなあ…。で締められていい映像です。

ついでにオープニングの話もすると、曲が「そうここ!!!!!!!!!!!」ってタイミングで入ってきてくれるから良いですよね。字も超カッコいいです。あと副ルーム長の顔もしっかり写したカメラワーク良いですね。オープニングのカメラ割り超絶好きです。ていうか大鷹弾くん見ました?規律正しい体育館であの興味のなさそうな顔!!!!カッコ良すぎてオープニングから泣ける!!!!!!すげえや!!!!やっぱ世界背負ったイケメンはちがう!!!!!!!って思います。

OPで始まり、EDで終わる、おたくの様式美に則ってくださりありがとうございます。おかげで心がしっかり始まって終わります。

 


今日はじめて帝一見たんですけど最強に面白くて見終わってすぐ、直後の帝一のチケット買いました。続けて2回見ました。

映画『帝一の國』は最高!!!!!!!

古屋兎丸先生、『帝一の國』を描いてくださってありがとうございました(T_T)(T_T)

 

 

 

大鷹弾くんと糸電話したいなあ。

わたしからは以上です。